自寺の境内にはおいなり様のお堂がある。正確に言うならば荼枳尼天(ダキニ天)という仏教の神様なのだが、なんやかんやの日本の歴史の中でおいなり様と習合して、そちらの名の方で通っている。自寺でもおいなり様と呼んだり荼枳尼天様と呼んだり、柏手を打ったり打たなかったりと、あんまり区別していない。
寺務員をはじめてから、このおいなり様との距離が縮まってきた。
始まりは寺務員なりたての昨年5月、なにかのタイミングで稲荷社の中に入ったとき、
ふと足元の大きめの段ボールを、前々からあったのだがなんだか気になり、開いてみた。
おきつね様がいっぱいでてきた。
今戸焼の鉄砲狐が主で、ちらほらと磁器のきつねなども。
保存状態改善のため、天日干ししつつ、薄葉紙で包装してきれいな箱に入れつつ、数えてみたら100体を超えていた。
住職に聞けば、稲荷講が自寺で盛んだったことに奉納されたものだそう。
稲荷講、昭和の頃までは賑やかだったそうなのだが、講員の方々の高齢化により、
自分が物心ついたときには縮小・凍結している。
今も毎年4月20日の穀雨の日に御祈祷を行って入るのだが、身内だけのものとなっている。社内。寺内には昔の奉納品や写真が残っていて、現況とのギャップが切ない。
他者の内面の心にかかわるところもあって難しいのだが、やはりもう一度、おいなり様を盛り上げたいなあと思う気持ちがこの頃から大きくなっていった。
それから一か月ほどたち、なにかのタイミングで境内の裏庭を歩いていた時のことである。
もうすでに蚊がやばい(6月)とか思いながら歩き進んでいると、
!?
灯籠のふもとにおきつね様がいた。
雌雄親子、1対4体。
曲線的なめらかさ、繊細さがあり、中々見ない造形をしている。
聞けば、石屋さんをされていた檀家さんが亡くなってお家を壊すこととなった際、
「お寺さんで引き取るものはありますか」と聞かれ、
お寺にお迎えしたらしい。
そしてなんやかんやで今まで裏庭にいらしたそうだが、
いやいや、折角境内に稲荷社があるのだ…!
社の正面、然るべき場所へ。
しかもだって、うちのおいなり様、「子育稲荷」なんですもの。(いつの頃からかはわからないが)
親子連れのおきつね様、此処以上の適所があろうか。
いやはや、身内フィルターとか自寺バカとか思われそうだけれど、
そして神様のお遣いに失礼かもしれないけれど、独特の表情、あどけなさ、いかめしさ…ひっくるめてめっちゃ愛おしい。大切にお祀りしていきたいです。
そんな感じで、自分の中でおいなり様フィーバーだった昨年。
(若干RPGっぽい発見・出会いだったので、中二心もわくわくした。)
これを機として、稲荷社周辺がふたたび盛り上がる日を願うのであります。