寺に住むカレー妖怪のブログ

埼玉は芋芋しい町のとあるお寺に住みついているカレー妖怪のブログです。寺務したりカレー食べたりカレー作ったりカレーを愛でたりしています。 住職に隠れてこっそりやっているお寺のフェイスブック→https://www.facebook.com/unkousan/

ネパール旅⑩(終)

9回にわたり、ネパール旅行中のルンビニ旅の一日を徒然と記した。

https://currymandara.hatenablog.com/entry/2024/04/06/133631

それで終わりにする予定だったが、ネパール旅全体の所感も書きたくなったのだが、書きますと言ったはいいが、いまいち内容のイメージがつかず今に至る。

というのもルンビニ旅の記事はその一日の流れに沿って出来事と所感をつづっていくというルートが出来ていたのだが、旅全体の所感、いわゆるまとめというとそういう形態で書くわけにもいかない。かと言って印象に残ったことを箇条書きにして点的に挙げていくスタイルもあまり性に合わないので、どうしたものかなと書きあぐねていたのだ。

Xのフォロワーさんのご助言もあり、やっとなんとなく書きたいことが言葉になってきたので、うまく伝わるかわからないがつづってみる。

 

「ネパール旅の目的は?」とたまに聞かれる(聞かれた)。その返答としてもっとも簡潔なのが「カレーと仏教」なのだが、そう答える自分に違和感も覚えていた。その答えでは漏れ出るものが多すぎるのだ。

わかりにくいが最も自分の本音に沿った答えは、「ネパールに行きたかったから」である。きっかけは足しげく通っている行きつけのインド・ネパール料理店だ。(自分と近しい人はそれが埼玉・川越にある「アムリタ」さんだと気が付くだろう。)

そのお店のシェフはネパール人。お店に通っているうちに、料理からにじみでる彼らの誠意みたいなものが胸を突くようになってきた。料理の丁寧さ、ガラス越しの照れくさそうな笑顔、たまに通常メニューにないリクエストをすると、喜んで腕を振るってくれる。とにかくお客様に喜んでもらいたいという気持ちが伝わってくる。彼らを見ているうちに、彼らの料理を享受しているだけで良いのかと、もっと彼らを知りたいと言う気持ちが強くなっていった。

家族から離れて遠い日本の地で昼夜働く彼らと彼らの料理に敬意を抱けば抱くほど、彼らの国と生活が知りたくなる。そして、今回のネパール旅につながったのである。

 

国や生活を知るということは、ネパールで見聞きするもの、感じること、全てが目的だと言うことだ。目的に沿わない行動など何一つなかった。カトマンズの喧騒、土煙。歩きスマホなんてやろうと思わないひっきりなしの車の往来。街のベースに漂う干した肉の匂い。乾いた寒さと暑さ、値切り交渉が一段落したら笑顔になるタクシー運転手。意外と時間を守る人たち(失礼)。すごい斜面。広い空。猿、鳩、犬、牛。カトマンズのからっとした暑さと寒さ。湿気を帯びたルンビニの暑さ。車酔い。チャイの濃厚さとみずみずしさ。狭い路地を歩いた時のちょっとした不安。日の出の美しさ。なにか自分よりとても大きなものに出会えた感覚。挙げたらキリがないが、そういう色々な点点が線になった面になって、ネパールという国を私は知っていく。数日滞在しただけの旅行者だから、それはとても一部分にすぎないけれど、少なくとも日本を出発する前よりも、私はネパールへの解像度が上がり、そしてもっともっとネパールを知りたくなった。

 

余談かもしれないが、私は1人で旅をすることがすきだ。その理由の一つは"今"に集中できるからではないか、とふと気がついた。

日本にいると、恥ずかしながら私はよく気が散る。目の前のことをしながら、頭は過去や未来やどの時制でもないことがらにしょっ中トリップしている。大切なのは、過ぎ去った過去でも来るかどうかわからない未来でもなく"今"なのに。

海外を1人で行動していると、トリップしている暇がない。それは安全面から、すれ違う通行人とか荷物とかに注意していなければならないという意味でもそうだし、目に入ってくるものが新鮮で他を考えている暇がないと言うことでもある。自然と今に集中できる。(本当はいつだってそうなのだけれど)今を生きている感覚を再確認し、日本に帰っても自省できる。それは生きていく中で、とても大事な感覚と行ないである気がするのだ。

 

ここまで述べてみたところで、ネパールの所感をつづると、一言で言うなら"性に合う"。

 

1番印象に残ったのは人である。めちゃくちゃ笑顔というわけではないのに、親切・やさしいという印象が残った。照れ屋だが気さく・時間を守る・義理堅い(1日目からお世話になったタクシー運転手に、最終日も空港までの送迎を頼んだのだが、急遽別仕事が入っていけないということで、代わりの運転手を手配してホテルに寄越してくれた)・お金にシビア・交渉は強気だが引き際を知っている(ここがインド人との大きな違いではと勝手に思っている)などなど。最初は控えめだが、はにかむ笑顔、そして随所では強気かつユーモアを挟むという彼らの特性が自分の性に合って、過ごしやすかったと感じる。人の特性は違えど、過去に行った国で同じく過ごしやすく感じたのはブータンだった。共通項は(チベット系の)仏教が根付いているという点だろうか。安易につなげるのは危険だけれど、肌に合ったひとつの理由なのかもしれない。

 

そしてまあなんといってもご飯が美味しい。

他のスパイス料理国と比べても油が少なく、華やかなスパイス使いというよりは滋味深い、あるいは地味なスパイスの使い方で、野菜や豆、あるいは肉の土気と生気を味わい、とっても心が落ち着いた。

ダルバートが一食しか食べられなかったのは実に惜しい、自分の胃袋がにくい。次に行く時は多様な民族に生きづく多様な食文化をもっと深く体験したいと思う。

まあその1ダルバートが最高だったんだけれども。

 

そうなのだ、ここまでなんやかんや語ったけれど、今回のネパール旅は満足感と共に未練も一部残っている。主にダルバートルンビニの未踏エリア。次に行く時はこの二つを旅の「目的」としてしまうかもしれない。いやいやそれでも、やはりそこに至るまでの、至った後の、ひとつひとつの"今"を目的としたい。何にせよ絶対に再訪したい国となった。

 

ここまで読んでくださり誠にありがとうございました!ダンニャバード🙏!!

 

ネパール・ルンビニ旅⑨

前回のあらすじ:ルンビニからカトマンズに帰ってへとへと夕飯タイム。

モモの名店で名物に舌鼓を打ち、ネパール最後の夜はこれからだ!というところで感じる胃袋エマージェンシー。

currymandara.hatenablog.com

 

ぐるぐるぐると体内がどよめき、胃から何かがこみあげてくる感覚は人生の中で何度か覚えがあった。他の方もそうなのかもしれないが、この状態になってから胃にものをいれると、24時間以内を目安に私はたいてい吐く。(きれいな話でなくてすみません)

こうなったからには胃をやすめ、身体をやすめ、大人しくしておくが吉、というかそれしかないのだ。

それはわかっている、頭ではわかっている。だがしかし、ネパール最後の夜なのだ。次にいつ来られるかわからない異国の地で、未来(の胃袋)に不安はあれど少なくとも今は空腹すら感じている状態で、むざむざとホテルに戻っておねんねしろというのは、ちょっと以上に悔しいではないか。(これを煩悩と言います)

 

一方で経験上、胃袋が中々危険信号なのはわかっているので、食べるか休むかの舵取りをいまいち定められないまま、夜のカトマンズを闊歩していた。

とりあえず、ネパールにものすごく詳しい知人が教えてくれたお店を探そうと思った。ネパールにはバッティと呼ばれる形態の飲食店がある。端的に言うとこじんまりとした居酒屋だ。ネパールの種々のお酒とショーケースにはお酒にあうつまみ系のネパール料理が並ぶという。観光と言うよりは地元の人向けだが、日本では中々食べられないネパール料理が並ぶというのでぜひ行ってみたかった(お酒を頼まなくても大丈夫らしい)。

事前に教えてもらった住所をたずねようと向かうと、どんどん街灯の灯と外国人の数は少なくなっていく。道は狭く、小さな灯の下、何の気なしに地元の人が集まって談笑している。(だべっている、という表現が適当なのかもしれない。)

目当てのお店は、近くまで来ているはずなのになかなか見つからない。地元の人に聞きながら行ったり来たりしてようやく見つけたのは、看板も見当たらず入り口は狭く、ささやかな灯がともる、完全現地仕様の飲み屋であった。

おそるおそる店内に入ると、何人かの現地兄ちゃんがたむろっている。聞いていた通り店頭にはショーケース、そして数々のネパールおつまみ。

元気だったらこの陳列メニューをぜひとも試してみたく、酒が飲めなかろうが、見慣れぬ外国人客としてじろっと見られようが、臆さず居座ったと思う。しかしおつまみメニューの殆どが明らかにお肉と油のメニューであって、これを食べたら確実に私の胃は沈没してしまうだろう。

何とか食べられるメニューもあるのかもしれないが、ある程度ネパール料理に馴染みがあると思っていたはずの自分にも未知のビジュアルばかりであり、自分で適切なものを選択するのは難しそうだ。だからといって、このような形態のお店に「今胃の調子が悪いのだけど、それでも食べられそうなものある?」と聞くのは無礼であろう。「なにしにきたんだ」と私でも思うだろう。

結局、席にもつかないまま、店員さんに謝ってすぐに外に出た(結局なにしにきたんだと思われただろう)。

 

とりあえずとぼとぼと、ホテルに向かって歩きはじめた。最悪(と言っては何だが)どこかでスープでも飲めれば心身ともに満足するかもなあと思いながら。これを人は往生際が悪いと言うのだ。

そのうちふと、「バラかチャタマリなら胃の負担も少ないのではないか」という考えが浮かんだ。バラとは豆粉を使ったネパール版のお好み焼き。チャタマリは米粉を使ったネパール版のクレープのようなものである。両方とも日本のネパール料理屋さんで食べたことがあったが、現地ではなにか違いがあるのか気になっていたところだし、何より刺激的なスパイスは使われず、油もさほど多くない。

道の途中で丁度両方が揃っていそうなお店を見つけたので、もうここにする!と入ってみた。思えば日本でもネパールでも人づてのお店に入ることが多かったから、(ルンビニでの昼食もそうだったけれど)前情報なしの飲食店に入るのは久しぶりだなあと、どきどきを感じた。

壊れ気味のスマホで撮った店頭看板 多民族国家ネパールの、ネワール族の料理を出すお店

 

入口の小ささとは裏腹に、中に入ると二階建ての広い空間とちょっとこじゃれた木基調の装丁と若い店員兄ちゃんたち。比較的新しいお店なのだろうか?

入った瞬間少しびっくりされたがすぐに笑顔で席に案内してくれた。客は私一人のようだ。メニューを開くとおいしそうな、時には見たこと食べたことのないネワール料理の数々…このコンディションでなければ…。

 

初志を貫徹し、バラかチャタマリで悩む。(貫徹という言葉と矛盾していないか)

決めきれないので店員さんにどちらがおすすめかと聞くと即答でチャタマリ(ネパール版ピザともクレープとも)と返ってきた。なぜだろう、私はバラの方にひかれていたのだがと思いつつ(だったら聞かずにバラを頼めばよかったのでは)、ではチャタマリを、と頼んだ。最初はシンプルなプレーンを頼もうとしたのだが、きのこトッピングがあるよと勧められ、反射神経でそれを頼んでしまった。私はきのこが好きなのだ、が、まあ食物繊維豊富なので逆に消化に負担はかかるね!

そして待つこと10分ほどだろうか、出てきたのがこちらである。

 

クレープ上に巻かれているタイプは初めて見た。

パカッと開くと、きのこやチーズの具材とご対面。

日本で食べたときにはピザのような見た目だったのだが、どちらかというとクレープの形態で出された。フォークで開いて、ピザ状にしてみると、きのこや野菜、チーズなどの具材が。

見た目として胃が安心できる感じでほっと一安心、ぱくっと一口。

む~!あっさり素朴でおいしい!記事は薄いが固めで、ピザともクレープとも違う。近い食感はガレットだろうか。

ほんのり塩気のある薄味に、ほんのりチーズの甘さとやさしいきのこ(おそらくマイタケ)。粉になっても感じるお米の包容力に、なぜだか海苔が欲しくなった。

日本で食べたチャタマリは、もっと生地がクレープのように柔らかくて、トッピングも派手(映え?)だった気がする。今のコンディションだと、この素朴さがうれしい。

 

ちなみに翌日も別のお店でチャタマリを頼んだのだが(こちらもバラとチャタマリどちらがおすすめかと聞くとチャタマリ即答であった)、スパニッシュオムレツのような分厚いほわっとした生地で、じゃがいもや豆なども練りこまれており、食べ応えがあった(味としても形態としてもバラ寄りだったのでは。ちなみにチキンチャタマリを頼んだのにチキンが不在であった。逃げちゃったのかな?)

次の日のお店のチャタマリ。分厚い。ソースはちょっぴりスパイシー。

同じ「現地」でも、やっぱりお店によって違いがあり、おもしろい。

 

不調の胃コンディションだったがあっという間に平らげてしまった。もっといろいろ楽しめればという気持ちも確かにあったが、このお店に出会えて、このチャタマリを食べられたのはこの状況あってこそ。そのつながりというか出会いというものに感謝して、とても優しい対応をしてくれた店員さんに「ミトチャ!(美味しかった!)」と伝え、ホテルへと帰った。

お店の名前は「Pulu Kisi」。現地での評判とかツーリスト間の知名度とかはわからないが、それにかかわらず私の中で心に残ったお店である。カトマンズに行かれる人はよかったら立ち寄ってみてください。私もまた再訪したく思います。

 

ホテルに戻り、悩んだ末、胃薬を既定の三倍飲んで寝たら、翌朝、あの逆流感はすっかり消えていた。(とはいえ無理はしなかったが)

良い子は、マネしないでね。用法用量守りましょうね。

 

そんなこんなのルンビニ旅の一日でした。チャタマリは新大久保などのネパール料理屋さんで食べられるからお試しあれ。とはいえあんな素朴でちょっと硬めのチャタマリがどこでたべられるはわかりませんが…。(クレープっぽいのもおいしいよ)

予定通りいかない思わぬ出会いの積み重ねが旅と人生の財産です。

次、最後一回、ネパール旅の総括を書いて終わりにしようと思います。

ネパール・ルンビニ旅⑧

前回のあらすじ

疲労と満足と未練と崇敬と、色んなものを携えてルンビニからカトマンズに帰着(1時間半遅れ)

https://currymandara.hatenablog.com/entry/2024/03/23/194657

 

か、カトマンズに帰ってきた…(へとへと)

もう正直早々にベッドに潜り込みたいが、明日にはネパールを旅立つ身。そして旅の目的の一つがネパールの食を味わうということだ。このままでは眠れないぜ!

 

とりあえず荷物を置きにホテルに戻ることにした。空港のハコモノから外に出て、すぐそこで順番待ちをしているタクシーを捕まえる(というか捕まえられる)。

「タメル地区のこのホテルまでお願いします!おいくら?」

「1000ルピーだよ」

「1000!? 一昨日のタクシーは空港からホテルまで800だったよ!というか定額で決まってるって聞いてたんだけど…??」

「1000。」

何が悔しいって、もう私に値段交渉する元気が残ってないということだよ…。しょうがないので言い値でタクシーに乗り込んだ。

ネパールだけなのか他国もそういうものなのかわからないが、値段交渉で少しばかり揉めようが、タクシー運転手は車内では和やかに話しかけてくる。そういうところは好きだ。リングの外では争わないみたいな。どこの国から来たのかとか、ネパールではどこをまわったのかとか、よくある会話をしながら相変わらず大渋滞のカトマンズ中心部を走る。ちなみにどんなに車がひしめき合おうが渋滞しようが信号はほぼ無い。

そのうちタクシーは歴史的に重要と思われる大きな建物の横を通った。タクシーの運転手が微笑みながら話しかける。「ここは俺の宮殿なんだぜ(どやっ)」

このネパールジョークをどう流せば良いのか、とりあえず苦笑いでほんまかいなとつっこむ。

「ところでボーイフレンドはいるのかい?」

「!?」

「日本にいようといまいと、ネパールでのボーイフレンドは俺さ!(どやっ)」

「!!???……いや、ちげえよ???」

そのうち俺の宮殿に来ないかという猛アプローチを受けて断り続けるという攻防が続く。そしてなぜかマスクの話題へ。

「なんでマスクをしているんだ!マスクをつけていたら顔が見えない!信頼関係が築けない!」「(なんで関係を築かなければならないのか…?)」

そのあともマスク装着をぶーぶー言ってくるので根負けして恐る恐るマスクを外したら、満面の笑みで「Good!!!」👍と手振りつきで褒められて事なきを得た。

なんなんだ。

ホテルに着いたところで、「彼氏は無理だけど普通に友達ということで。」と伝えて握手をして終わった。40歳すぎと思われるツッコミどころの多いタクシー運転手だったが今となっては良い思い出である。

 

ホテルに着いて、スタッフに、やっぱり飛行機遅れたよ〜などと雑談を交わしながら部屋に戻り、荷物を整えて再び外へ。夕飯のアタリはすでにいくつかつけてある。

まず一つ目がニューエベレストモモセンターというお店。その名の通りチベット由来の蒸し餃子・モモに特化したお店である。

この日のお昼はルンビニですでにベジタブルモモを食べていた(過去記事参照)が、それとこれとは別だ。店の知名度は高く、ネパール旅行の先人たちの多くも訪れ、おすすめしていた有名店、これは行かねばならない。しかもモモが5個単位で注文可能なのではしご飯にも向いている。

ホテルから15分くらい歩いてお店に着いた。繁華街と言われるタメル地区の北の外れにあり、途中までがったがたの、というか穴の空いた道路を歩いたり、車通りの激しい道路を恐る恐るわたったり(もちろん信号は無い)しながら到着したのは、有名店のイメージから離れたこぢんまりとしたお店で意表を突かれた。(外観は撮り忘れたのでググってみてください。)

↑途中の道路。謎の穴🕳️、穴の周りも謎に窪んでいた。

お店は前払い制である。入り口で注文を伝えてお金を支払う。先程書いた通り、ここはフードメニューは1種類のモモしかない。あとは個数を5個単位で選べるのと、ドリンクの選択肢だけだ。(その硬派な店の在り方に、宇都宮にある正嗣という餃子屋さんを思い出していた。こちらもフードメニューは焼餃子か水餃子のみである)

驚いたのは、店員の皆さんが、日本の食品工場等で従業員さんがつけているような、髪の毛落下防止の不織布キャップをかぶっていた事だ。ネパールにそんな厳密な衛生観念があるのか…と地味に失礼な感心をし、このお店のプロ意識の高さを感じた。

ものの5分もしないうちに、座っている目の前で巨大な蒸し器からモモが取り出され、スープ?ソース?が全体にかけられてテーブルにサーブされた。

疲労と空腹に襲われている自分、手を合わせていただきますの後即座にスプーンで1つすくってパクぅッ…うっ…おいしいいいいい…(じんわり)

ここのモモの中身は水牛(ネパールでは牛は神様の化身という事で牛肉を食べないのだが、なぜだか水牛はOKらしい。)。ネパールの山椒が程よく効いていて痺れる辛さもあれど、全体にかけられたヨーグルトベース?のスパイスソースがマイルドなので、落ち着きが生まれている。

ピリ辛水牛の具と、マイルドスパイスソースとの真逆さが相性良く、抜群のやみつき加減を生み出していた。

(惜しむらくはタイミングが運悪くて若干ソースが冷めていたことだが(自分のが出されてすぐあつあつのソースが鍋に足されていた))

いやあ、美味しいっす。そして今日一日中なんやかんやあった自分を労ってくれている気がする。噛み締めつつも、小ぶりなモモもソースも、あっという間にお皿から胃袋へと移った。

 

店内を見れば外国人のお客もいれば地元民ぽい人たちもいる。地元客はモモを頼んでさーっと食べては去っていく人たちが代わる代わる訪れていた。

親しまれているなあこのお店…。

モモによってひとまず回復した心身。さて、あたりをつけていた2件目に行きますか…。

 

ん!?

 

グルグルグル……

 

あっ、この感覚は…もしかして…胃のエマージェンシー…………

 

(思ったより長くなってしまったので)次回に続きます!

 

 

ネパール・ルンビニ旅⑦

前回のあらすじ:ルンビニ全体の1/3を見たか見ないかのところでタイムアップ。未練は残るが肝は満喫できた。いつの日かのリベンジを誓って、さあ帰路だ!

https://currymandara.hatenablog.com/entry/2024/03/16/191750

 

帰るまでがルンビニ旅です。ここからもミッションポイントがいくつかあるので、ルンビニの余韻に浸って油断してはいけない。帰路の流れをまとめると、

・日本円を両替してタクシー代を生み出す

・約束していたタクシーと合流する

・空港で手続き→離陸

カトマンズの空港到着→ホテル着

である。カトマンズに着いてしまえばこっちのもので、往路の空港でのバタバタを考えると、ルンビニを無事離れられるかまでが肝だろう。

 

まずはチケット売り場のおじさんが教えてくれた両替スポットを目指さねば。ゲート5の近くにあるとだけ聞いたので、まずはそこを駆け足の自転車(変な表現だ)で目指す。中古自転車と未舗装道路でがったがた揺れるけれど、体を動かすってやっぱり心地よいなあ。砂埃がひどくて、汗まみれでもマスクは外せないけれど、我慢できる程度の不快感は、かえって旅の愉快さに繋がるところがあるのではないだろうか。

 

ゲート5の近くに戻ってきた。まずは自転車を返しに行く。店主のおじさんに、「え?もういいの?」みたいな表情をされた。小一時間程度のレンタルだったもんねえ…苦笑いしながら両替できる場所を聞いたら道路を挟んですぐ向かいのお店を紹介してくれた。そしてここからは意外にもスムーズで、あっさりと両替は完了し、待ち合わせ場所にはちょうど行きと同じタクシーの兄ちゃんが到着したところだった。

失礼な話だが、海外に行くと(とくにインド旅行でよく聞くが)約束した時間に待ち人が現れないという話をよく聞く。しかしこと今回のネパール旅においてはそういうことは一回もなく、時間ぴったりどころか5分前集合くらいでネパールの待ち人たちは現れた。むしろ私が遅れる場合があったりして反省。いやはや、ネパール人の律儀さは、旅の中で強く印象に残った。

 

空港に向かうタクシーの中で、「自転車借りて周ったよ!」と言うと苦笑いされた。断然タクシーより安かったぜ…時間を生贄にした結果早々にターンエンドしてしまったけどな。

途中、一度だけタクシーが警察?に停められ、警察が運転手を呼び出すという場面があった。車内で待っている間、事の次第がわからず微妙に不安になったが、数分して戻ってきた運転手兄ちゃんに聞くと、資格を得ている正規のタクシー(ドライバー)か、確認されたらしい。兄ちゃんが首にさげているライセンスを私に見せるようにちらつかせた。確かにタクシードライバーはネパールの中だとそこそこなかなかに儲かる職業だと感じる。観光地ルンビニ周辺となると需要も高いし違法ドライバーもいるのだろう。取り締まりがしっかり?行われているんですね。(後で知ったことにはネパールではタクシーが飽和状態だとか。そのせいで過去には(今も?)何かカオスな状態があったのだろう。ルールを整備する必要があったのだと思う)

 

無事にバイラワ空港に戻ってきた。以前の記事参照だが、往路の3時間大遅刻をふまえて、復路のフライトを15:55発→16:55発に変更してもらっている。時刻は16:00過ぎ。余裕で間に合ったぜ!

カウンターでeチケットと引き換えに搭乗券を受け取る。…ん!!??15:55発!!!???

もう出発時刻過ぎてるじゃあないか!驚いた顔をしているとカウンター越しに航空会社の兄ちゃんが「今日のフライトそれで最後だから!」と私に伝えた。

ああ、そうか。これまでの経験と見聞きしたことをつなげると、恐らくまた天候不順で15:55発の飛行機が遅れており、天候なり飛行場なり機体なりの状況を考えると、その遅刻便を今日のラストにせざるをえないということか。

状況を推察するなり急いで荷物検査を通過して搭乗エリアに急いだ。なにせチケットカウンターではラストフライトの現況を視認できない。遅れているとはいえ、今この瞬間にも搭乗手続きを始めている可能性だってあるのだ。バイラワ空港の規模を把握しきれてないから、ここから搭乗エリアまでどのくらい時間がかかるのかもわかってないし!こういう微妙なヒヤッとが今日は多いこと…!!

 

ひやひやしながら急いだが、搭乗口前の待合エリアではまだたくさんの人がのんびり待機中であった。よかった…。

ほっと椅子に腰をおろして待機。ここで待っている間、檀家さんやお葬儀屋さんから国際電話がかかってきたりして、ここは異国ではあれど異世界ではないんだなあ…としみじみ現実感を感じたりもした。隣席の明らかに周囲と異なる身なりの紳士に話しかけられた。あれ?私が話しかけたんだっけか?さておき、品の良い厚みのあるスーツに身を包んでいやらしくない小洒落た装飾品をつけた彼は、なんとまぁ金だか宝飾だかのブローカーで、日本にも行ったことがあるらしい。年々下がってきているとはいえ貧困率が高いと言われるネパールだが、一方でこういう方ももちろんいらっしゃるのだなぁ。

 

そんな感じでまったり待合室で時間を過ごす…………フライト乗り遅れるかも!とひやっとしたのが嘘のようだ………まったりすぎん??

時計を見ると小1時間は経過し、17:00を過ぎていた。変更前のフライトに近い時間に帰れるかも!ラッキー!と頭によぎっていたけれども甘かった。変更後のフライト時間も過ぎていたのですね…。

とはいえもう焦る必要もないので、観念して夕日をぼーっと眺めながら待つ。一度、空港スタッフが大声でアナウンスし搭乗をうながしたので来たか!?と思ったが、別の行き先のフライトであった。しかし焦る必要はない、疲労感と空腹に襲われて早く帰りたいという気持ちが時間と共に膨らんでいくが、それは焦る理由にはならないのだ……。

17:30ごろだったたろうか、ようやく搭乗手続きが開始され、機内でもぼーっと夕日を眺めつつ、今日1日の目まぐるしさを振り返りながら、疲労におそわれながらも充足感や感動も噛み締め、カトマンズに帰ってきた。

 

国内線だったし預けた荷物もないのでささっと手続きして空港の外へ。重ねて言うが今日は疲れた。充実したよい疲労感と、変にヒヤッとした名残の、あまりよくない疲労感を交互に感じる。早くホテルに戻ってシャワーを浴びてベッドに入りたい…が、しかし、私のネパール旅の目的の一つ、それはネパールご飯なのだ。旅に行くにあたっていろいろな人ががいろいろな料理やお店を紹介してくれた。それを少しでも多く経験したい。

 

ということで、今回ラストかと思いましたがあと一回だけ続きます!ルンビニ後のご飯編。

 

ネパール・ルンビニ旅⑥

前回までのあらすじ

ルンビニのマヤ・デヴィ寺院参拝。

警備員さんのご厚意により中で坐禅をさせていただきました。

https://currymandara.hatenablog.com/entry/2024/03/11/193032

 

ルンビニに着いてマヤ・デヴィ寺院に訪問しただけなのに残り時間はあと30分あるかないか!しかし1番行きたかった場所を達成し、しかも中で坐禅をさせていただくという想定外のありがた経験をさせていただいたので、気持ちは満たされ相対的に焦る心は小さくなっていた。これが仏陀・マジックというやつさ!

 

とりあえず寺院の近くにネパールのお寺とチベット仏教のお寺が隣同士で建っているので向かう。

 

ちなみにガイドブック『地球の歩き方2021-2022版』にはルンビニ内には飲食物は売っていないと書かれていたが、両寺院の近くには移動販売的な屋台があり、アイスいかがっすか(英語)と道ゆく人に声をかけていた(しかも結構人気)。これ許可制なんだろうかね。

 

まずは現地・ネパールの仏教寺院へ。

カラフルなネパール寺院。

 

入ると手前の空間はがらんどうであり、最奥部にお釈迦様の巨大な像が鎮座していた。お釈迦様の造形は少し細めで、目は切れ長。ミャンマーで見たお姿に似ている。中央部にはお拝の為か、床に敷物。

僧侶が一名おり、参拝者に説明をしているようだった。

荷物を下ろし、敷物の上で3度のお拝をした。横では中華系?の家族が同じようにお拝をしていたが、やり方が異なるのが興味深い。

うちの宗派の場合、合掌して一礼した後、膝を床につき、両掌を上にして地面から耳の横にまでゆっくり上げ、立ち上がるという動きを3回繰り返す。お拝時、お尻は上げないように注意する。

一方、隣のご家族は腕立て伏せのように肘を立て、両掌を下にし、そしてお尻は上がり気味でお拝をしていた。いろんな国の仏教徒のお拝を比べてみたらおもしろいんだろうなあ。良い悪いではなく。

常駐のネパール人僧侶に話しかけてみた。僧侶ですと言うとお寺にステイしているのか?と聞かれたので、日本での生活のことだと思いYESと答えたが、今思えばルンビニ内の日本のお寺に宿泊しているのか?という質問だったように思う。時間さえあれば泊まってみたかったんですけどね…。

話している中で、ネパールお坊さんは、何度もサードゥという用語をお拝のようなジェスチャーと共に繰り返していたのだが、ついぞその意味がわからなかった。どなたかご存知なら教えていただければ幸いです。

 

続いて隣のチベット仏教寺院へ。

建物より延びた鮮やかな旗が印象的。チベット仏教に特徴的な祈りの旗、タルチョである。

 

中の構造はだいたいネパール寺院と同じだったが、壁の装飾は極彩色、仏像はぼってりした顔立ちとしっかりめの体躯。ネパールよりも物理的文化的距離が近いからか、チベット仏教仕様の仏像は日本の造形に似ていた。あらためて考えると、お釈迦様は1人なのに、その像がそれぞれの国の人々に似た顔立ち・体つきをしていてバラエティに富んでいるのもおもしろいことだと思う。

中央にはやはりお拝用と思われるあつらえがあり、常駐の僧侶がとなえごとをしていた。

かたわらにてまた三度のお拝をし、お寺を後にした。

 

さて、どうしようか。

以前の記事に書いた通り、ルンビニ領域には各仏教国のお寺が建立されているのだが、ネパール・チベット仏教以外の寺院は今いるエリアからは離れている。ルンビニで残された時間はあと10分と少し。ワンチャン、お寺ゾーンに行って外観を眺めてくるくらいはできるのではないか…という気持ちがよぎった。他方で、体力的にはそこそこ疲れていたし、なかなかギリギリのタイムスケジュールをこなすために馬力を上げる気力があるかどうか微妙なところだなぁともやもや考えながら、急いでいるのかいないのか中途半端なスピードで自転車を停めたところに戻った。そして決めきれないままおもむろにお寺ゾーンの方向に向かって漕ぎ出す。運河に沿ってまっすぐ道を行けば、お寺ゾーンにに辿り着くはずだ。

 

いざ自転車を漕ぎ始めると、汗ばんだ体には心地よい風が横を流れ、にわかにモチベーションが上がってくるのを感じた。気持ちに沿うようにスピードを上げようと力強くペダルを踏む。

ガタン!!ガタガタガタ…!!!

あ、これ、地面の粗い煉瓦の舗装と中古自転車の年季が相まって、スピード上げるとものすごく揺れるやつだ…。

くるりとむきを変え、ルンビニの出口へと自転車を向かわせた。にわかに上がったモチベーションは、横に感じる風より縦に感じる振動の強さが勝ったことで、またたく間に萎んでいった。ルンビニはいつかまた絶対来てやるという決意の表れと解釈してほしい。

ネパール・ルンビニ旅⑤

前回のあらすじ

・やっとこさルンビニにIN

・タイムリミットを自ら縮める痛恨のミス

https://currymandara.hatenablog.com/entry/2024/02/26/193912

 

現在14:00すぎ。聖園エリアの入場料を支払ったことで帰りのタクシー代が確実に不足、お金両替の為に15:00すぎにはルンビニを後にしないといけなくなった。まさか往復のフライト時間よりも短いとは。

 

聖園エリア入り、目当てのマヤ・デヴィ寺院に続く参道ではタイやミャンマーあたりだろうか、僧侶の姿を少なからず目にした。周囲の人々は敬意を抱く目で彼らを一瞥していく。

私はというと敬意というよりか好奇の目で見られていた。ニット帽にマスクで普段着、見慣れない日本人顔(他の日本人に1人も出会わなかった)となればまぁそうなる。あと驚いたことに単独行動しているのは私くらいで、他はグループだったために余計目立ったのかもしれない。

寺院が近づくと、靴を脱いで置いておくエリアがあった。下駄箱が多数置いてあるだけで管理する人がいるわけではないので、取り違えとか盗難とか全然ありえなくないのだろうけど、その時はその時で仕方あるまいに。靴下は履いたままの人もいたが全部脱いで裸足になった。ちくちくする足の裏は、大学時代の空手部で、正拳突きと前蹴り千本にいそしんだ真夏の砂浜のの感覚を思い出した。

 

残念ながら庭園を周遊している時間はないのでエリアの中心にあるマヤ・デヴィ寺院に足早に向かった。こちらはお釈迦様再誕の地であることを示すマークストーンが発掘されたポイントに建てられた。記念的意味も込められた寺院である。マヤとはお釈迦様のお母様のお名前。

(中は撮影禁止)

 

聖堂の中に入ると、中心にマヤ夫人がお釈迦様をご出産されてる様子をかたどった石像があり、ちょうどインド人かネパール人のご婦人グループが石像を取り囲んで静かに興奮していた。石像に触れていたように見えたので、こんな歴史的文化財に気軽に触れてええんかーいとも思ったが、後で知ったところには、女性がこの像に触れるとお子さんに恵まれると言われているらしい。文化財の保護も大切だけど、今も脈々と生きている信仰を尊重することも大切よね。

 

参拝客用のルートは石像に行き着いたところで途切れ、ご婦人グループは折り返して外に出て行った。参拝客用ルートの外側には警備員さん用のエリアがあり、石像を囲む参拝客を背後からチェックする形になっている。

礼儀と思いニット帽を外し、自分が石像を繁々と眺めていると、警備員さんから初めてか?どこから来たんだ?僧侶か?声をかけられた。初めて。日本から来た僧侶です。と答えると、石像の脇の地面を覆う透明パネルを指差した。パネル越しに地面を覗くと、お釈迦様がここでお生まれになったことを示すというマークストーンが。これがそうなのか…と感嘆していると警備員さんはちょっと誇らしげだった。

 

そしてさらに手招き。どうやら警備員エリアに入っていいよということらしい。え、ええんですか…とドギマギしながら簡易バリケードの向こう側へ。パイプ椅子に座る3人の警備員さんと、傍の床には座布団が2つほど置いてあった。少し離れたところから眺めると石像の全体像がかえってわかりやすくなり、先程見たマークストーンの光景とそれが示す意味と…映像と言外の感覚が混ざり合い、自分の胸をざわざわさせた。

 

お拝をして良いか、と警備員さんに確認をとり、その場で三度の礼拝をした。立ち上がり数秒石像を眺めたあと、再び警備員さんに確認をとった。数分だけ、meditation (瞑想)してもよいか?と。うちの宗派で言うならばつまり坐禅である。

OKだよ、と警備員さんが優しく言ってくれた。ありがたく床の座布団をお借りして、石像が正面に見える位置に坐った。

正直言うと自分は日常的に坐禅をしているわけではないのだが、この場で急に坐りたくなった。呼吸を整えながら石像を眺めていると(坐禅中は目を閉じない)、一言の言葉では表せない、かと言って言葉を並べては野暮というような、熱い感の極まりがぶわわわわああっっっとこみ上げてきた。その事実に自分でも驚いた。

自分はお寺に生まれたが、誰かが跡を継がないといけないからという義務感100%で僧侶になったわけではない。かといって信仰心100%でなったわけでもない。

そんな自分がこの熱い感を抱けたことに驚き、喜び、安心した。なんとも器の小さい感想であるかもしれないが、私の中では大きな出来事であった。

 

外からかすかに吹いてくる穏やかな風を感じながらもう少し坐っていたかったが、時間的な問題と、警備員さんへの配慮(と言うより自分が気にしてしまうだけ)から、数分の後に足を解き、警備員さんにお礼を言って聖堂をあとにした。

入れ替わるようににぎやかめな中華系グループが入ってきたのでちょうど良かったのかもしれない。偶然静かな時間をいただけたことの巡り合わせもありがたく、たった数分でも貴重な記憶となった。

 

もう少し続きます!

ネパール・ルンビニ旅④

前回のあらすじ:腹が減ってはルンビニに行けぬ。

currymandara.hatenablog.com

 

腹ごしらえを終えて、数軒隣の貸し自転車屋さんへ。

パスポートを見せたり宿泊先を伝えたりなどの諸手続きの後、

カレー妖怪 は じてんしゃ を てにいれた!(テーンテテテテテテー)

よろしく相棒。

店頭にはかっこいい系?の自転車が2,3台並んでいたが、私が女性だからゆえの気遣いだろう、店主さんが奥からえらくラブリーな、ちょっと(かなり)年季の入った自転車を出してきてくださった。私は何歳に見えていたのだろうか…しかしそのお心遣いがうれしいですよね。

いざ!ルンビニへ!

タクシー運ちゃんが教えてくれたゲートに向かってペダルを踏みだした。

 

そして速攻でストップをかけられた。

「自転車はこのゲートからははいっちゃだめだよ、向こうにゲート4があるからそっちから入ってね。」出鼻クラッシュ。

一番行きたかったエリアに最も近いゲートからは自転車では入れないらしく、数百メートル離れた別のゲートへ急いだ。(宗教施設や遺跡が立ち並ぶいわゆる「ルンビニ」と言われる領域は壁に囲まれており、いくつかのゲートから中に入ることができる)

公道は砂埃が終始舞い、車とバイクの往来が激しい。スピードをなるべく緩めたくない!という確固とした意志が通り過ぎていく車体から伝わってくる。タイムリミットが迫る中のロスだし空気は良くないしなまったるい暑さ。それでも久しぶりに下半身を動かせた解放感と、ルンビニの地でキィキィ鳴りやまぬ中古自転車を漕いでいる状況の愉快さに、ちょっと気分はわくわくしていた。

 

2,3分自転車を走らせ、とうとう「ルンビニ」の領域へ。そこからまた2,3分。目指すエリアがやっと見えてきた。

ルンビニ」は大きく三つのエリアに分かれている。

一つが、お釈迦様生誕の地であることを記念して建立されたマヤ・デヴィ寺院を中心とした「聖園」(Sacred Garden)、二つ目が、世界各国の仏教寺院が立ち並ぶ「寺院地区」(Monastic Zone)、三つ目が、カルチャーセンターやホテル等来訪者に向けた施設が並ぶ「新ルンビニ村」(New Lumbini Village)である。三つのエリアは縦に並ぶように配置され、それぞれのエリアを運河が縦断している。

ちなみに国連主導の下ルンビニ再整備計画が立ち上がった時に、上記のようなエリア分けを含むマスタープランを作成したのが日本の建築家・丹下健三であった。マスタープランとしては、来訪者は北部のNew Lumbini Villageから入り、運河を縦断して各寺院を訪れ、最後に歴史的にも宗教的にも最も重要なSacred Gardenにたどり着く、という想定なのだが、時間の関係上、他エリアをかすめることもなく速攻Sacred Gardenを目指した。ごめんなさい…。ちなみにマスタープランはまだ完成したわけではなく、工事中のところがちらほらだった。完成した際には皆さん、どうかプランをなぞって訪れてみてください。それが一番ルンビニを堪能できる動線だと、丹下さんが心血注いで考案したはずなので…。

 

ルンビニの軸線となる運河。

 

聖園の入り口に着いた。ここから先は徒歩である。自転車を停めようとした矢先、物乞いの子どもたちが3人くらい一気に間合いを詰めてきた。海外でこういう状況に出会ったときどうすればいいのか、私はまだ結論を出せていない。

 

ゲートを抜けて聖園内部へ。ネパール人、インド人、ヨーロピアン、様々な人種の人々が、マヤ・デヴィ寺院までの参道を往来していた。(この辺の国の人ではないかつソロ活動をしているのはぱっと見自分だけだったので中々目立つらしい。)

すごくわかりやすいルンビニの主張。

もう少しでマヤ・デヴィ寺院というところで、小さい小屋のような建物。

チケットブースだ。…え?チケットブース???

しまったー!!!入場料のこと頭から抜けてた!!!また所持金が減る!!!!

(聖園エリアだけ入場料が必要です)

入場料を払う。運ちゃんが指定した帰りのタクシー料金の額(2000ルピー)、足らず。

FIX(固定制)って言ってたけど実際に足りないなら諦めてくれないかな…でもこういう踏み倒し?するの初めてでビビりまくりな自分がいる…どうする…。

「すみません…この辺で日本円をルピーに替えられるところありますか…」

チケットブースのおじさん「ゲート5の外(最初にタクシーを降りたところ)にあるよ!」

あ…助かった……安心すると同時に、またタイムリミットを自ら無駄に消費することが決定されたのである。