寺に住むカレー妖怪のブログ

埼玉は芋芋しい町のとあるお寺に住みついているカレー妖怪のブログです。寺務したりカレー食べたりカレー作ったりカレーを愛でたりしています。 住職に隠れてこっそりやっているお寺のフェイスブック→https://www.facebook.com/unkousan/

ネパール旅⑩(終)

9回にわたり、ネパール旅行中のルンビニ旅の一日を徒然と記した。

https://currymandara.hatenablog.com/entry/2024/04/06/133631

それで終わりにする予定だったところ、終わってみるとネパール旅全体の所感も書きたくなり、書きますと言ったはいいが、いまいち内容のイメージがつかず今に至る。

というのもルンビニ旅の記事はその一日の流れに沿って出来事と所感をつづっていくというルートが出来ていたのだが、旅全体の所感、いわゆるまとめというとそういう形態で書くわけにもいかない。かと言って印象に残ったことを箇条書きにして点的に挙げていくスタイルもあまり性に合わないので、どうしたものかなと書きあぐねていたのだ。

Xのフォロワーさんのご助言もあり、やっとなんとなく書きたいことが言葉になってきたので、うまく伝わるかわからないがつづってみる。

 

「ネパール旅の目的は?」とたまに聞かれる(聞かれた)。その返答としてもっとも簡潔なのが「カレーと仏教」なのだが、そう答える自分に違和感も覚えていた。その答えでは漏れ出るものが多すぎるのだ。

わかりにくいが最も自分の本音に沿った答えは、「ネパールに行きたかったから」である。きっかけは足しげく通っている行きつけのインド・ネパール料理店だ。(自分と近しい人はそれが埼玉・川越にある「アムリタ」さんだと気が付くだろう。)

そのお店のシェフはネパール人。お店に通っているうちに、料理からにじみでる彼らの誠意みたいなものが胸を突くようになってきた。料理の丁寧さ、ガラス越しの照れくさそうな笑顔、たまに通常メニューにないリクエストをすると、喜んで腕を振るってくれる。とにかくお客様に喜んでもらいたいという気持ちが伝わってくる。彼らを見ているうちに、彼らの料理を享受しているだけで良いのかと、もっと彼らを知りたいと言う気持ちが強くなっていった。

家族から離れて遠い日本の地で昼夜働く彼らと彼らの料理に敬意を抱けば抱くほど、彼らの国と生活が知りたくなる。そして、今回のネパール旅につながったのである。

 

国や生活を知るということは、ネパールで見聞きするもの、感じること、全てが目的だと言うことだ。目的に沿わない行動など何一つなかった。カトマンズの喧騒、土煙。歩きスマホなんてやろうと思わないひっきりなしの車の往来。街のベースに漂う干した肉の匂い。乾いた寒さと暑さ、値切り交渉が一段落したら笑顔になるタクシー運転手。意外と時間を守る人たち(失礼)。すごい斜面。広い空。猿、鳩、犬、牛。カトマンズのからっとした暑さと寒さ。湿気を帯びたルンビニの暑さ。車酔い。チャイの濃厚さとみずみずしさ。狭い路地を歩いた時のちょっとした不安。日の出の美しさ。なにか自分よりとても大きなものに出会えた感覚。挙げたらキリがないが、そういう色々な点点が線になり面になって、ネパールという国を私は知っていく。数日滞在しただけの旅行者だから、それはとても一部分にすぎないけれど、少なくとも日本を出発する前よりも、私はネパールへの解像度が上がり、そしてもっともっとネパールを知りたくなった。

 

余談かもしれないが、私は1人で旅をすることがすきだ。その理由の一つは"今"に集中できるからではないか、とふと気がついた。

日本にいると、恥ずかしながら私はよく気が散る。目の前のことをしながら、頭は過去や未来やどの時制でもないことがらにしょっ中トリップしている。大切なのは、過ぎ去った過去でも来るかどうかわからない未来でもなく"今"なのに。

海外を1人で行動していると、トリップしている暇がない。それは安全面から、すれ違う通行人とか荷物とかに注意していなければならないという意味でもそうだし、目に入ってくるものが新鮮で他を考えている暇がないと言うことでもある。自然と今に集中できる。(本当はいつだってそうなのだけれど)今を生きている感覚を再確認し、日本に帰っても自省できる。それは生きていく中で、とても大事な感覚と行ないである気がするのだ。

 

ここまで述べてみたところで、ネパールの所感をつづると、一言で言うなら"性に合う"。

 

1番印象に残ったのは人である。めちゃくちゃ笑顔というわけではないのに、親切・やさしいという印象が残った。照れ屋だが気さく・時間を守る・義理堅い(1日目からお世話になったタクシー運転手に、最終日も空港までの送迎を頼んだのだが、急遽別仕事が入っていけないということで、代わりの運転手を手配してホテルに寄越してくれた)・お金にシビア・交渉は強気だが引き際を知っている(ここがインド人との大きな違いではと勝手に思っている)などなど。最初は控えめだが、はにかむ笑顔、そして随所では強気かつユーモアを挟むという彼らの特性が自分の性に合って、過ごしやすかったと感じる。人の特性は違えど、過去に行った国で同じく過ごしやすく感じたのはブータンだった。共通項は(チベット系の)仏教が根付いているという点だろうか。安易につなげるのは危険だけれど、肌に合ったひとつの理由なのかもしれない。

 

そしてまあなんといってもご飯が美味しい。

他のスパイス料理国と比べても油が少なく、華やかなスパイス使いというよりは滋味深い、あるいは地味なスパイスの使い方で、野菜や豆、あるいは肉の土気と生気を味わい、とっても心が落ち着いた。

ダルバートが一食しか食べられなかったのは実に惜しい、自分の胃袋がにくい。次に行く時は多様な民族に生きづく多様な食文化をもっと深く体験したいと思う。

まあその1ダルバートが最高だったんだけれども。

 

そうなのだ、ここまでなんやかんや語ったけれど、今回のネパール旅は満足感と共に未練も一部残っている。主にダルバートルンビニの未踏エリア。次に行く時はこの二つを旅の「目的」としてしまうかもしれない。いやいやそれでも、やはりそこに至るまでの、至った後の、ひとつひとつの"今"を目的としたい。何にせよ絶対に再訪したい国となった。

 

ここまで読んでくださり誠にありがとうございました!ダンニャバード🙏!!