前回までのあらすじ
・ルンビニのマヤ・デヴィ寺院参拝。
警備員さんのご厚意により中で坐禅をさせていただきました。
https://currymandara.hatenablog.com/entry/2024/03/11/193032
ルンビニに着いてマヤ・デヴィ寺院に訪問しただけなのに残り時間はあと30分あるかないか!しかし1番行きたかった場所を達成し、しかも中で坐禅をさせていただくという想定外のありがた経験をさせていただいたので、気持ちは満たされ相対的に焦る心は小さくなっていた。これが仏陀・マジックというやつさ!
とりあえず寺院の近くにネパールのお寺とチベット仏教のお寺が隣同士で建っているので向かう。
ちなみにガイドブック『地球の歩き方2021-2022版』にはルンビニ内には飲食物は売っていないと書かれていたが、両寺院の近くには移動販売的な屋台があり、アイスいかがっすか(英語)と道ゆく人に声をかけていた(しかも結構人気)。これ許可制なんだろうかね。
まずは現地・ネパールの仏教寺院へ。
カラフルなネパール寺院。
入ると手前の空間はがらんどうであり、最奥部にお釈迦様の巨大な像が鎮座していた。お釈迦様の造形は少し細めで、目は切れ長。ミャンマーで見たお姿に似ている。中央部にはお拝の為か、床に敷物。
僧侶が一名おり、参拝者に説明をしているようだった。
荷物を下ろし、敷物の上で3度のお拝をした。横では中華系?の家族が同じようにお拝をしていたが、やり方が異なるのが興味深い。
うちの宗派の場合、合掌して一礼した後、膝を床につき、両掌を上にして地面から耳の横にまでゆっくり上げ、立ち上がるという動きを3回繰り返す。お拝時、お尻は上げないように注意する。
一方、隣のご家族は腕立て伏せのように肘を立て、両掌を下にし、そしてお尻は上がり気味でお拝をしていた。いろんな国の仏教徒のお拝を比べてみたらおもしろいんだろうなあ。良い悪いではなく。
常駐のネパール人僧侶に話しかけてみた。僧侶ですと言うとお寺にステイしているのか?と聞かれたので、日本での生活のことだと思いYESと答えたが、今思えばルンビニ内の日本のお寺に宿泊しているのか?という質問だったように思う。時間さえあれば泊まってみたかったんですけどね…。
話している中で、ネパールお坊さんは、何度もサードゥという用語をお拝のようなジェスチャーと共に繰り返していたのだが、ついぞその意味がわからなかった。どなたかご存知なら教えていただければ幸いです。
続いて隣のチベット仏教寺院へ。
建物より延びた鮮やかな旗が印象的。チベット仏教に特徴的な祈りの旗、タルチョである。
中の構造はだいたいネパール寺院と同じだったが、壁の装飾は極彩色、仏像はぼってりした顔立ちとしっかりめの体躯。ネパールよりも物理的文化的距離が近いからか、チベット仏教仕様の仏像は日本の造形に似ていた。あらためて考えると、お釈迦様は1人なのに、その像がそれぞれの国の人々に似た顔立ち・体つきをしていてバラエティに富んでいるのもおもしろいことだと思う。
中央にはやはりお拝用と思われるあつらえがあり、常駐の僧侶がとなえごとをしていた。
かたわらにてまた三度のお拝をし、お寺を後にした。
さて、どうしようか。
以前の記事に書いた通り、ルンビニ領域には各仏教国のお寺が建立されているのだが、ネパール・チベット仏教以外の寺院は今いるエリアからは離れている。ルンビニで残された時間はあと10分と少し。ワンチャン、お寺ゾーンに行って外観を眺めてくるくらいはできるのではないか…という気持ちがよぎった。他方で、体力的にはそこそこ疲れていたし、なかなかギリギリのタイムスケジュールをこなすために馬力を上げる気力があるかどうか微妙なところだなぁともやもや考えながら、急いでいるのかいないのか中途半端なスピードで自転車を停めたところに戻った。そして決めきれないままおもむろにお寺ゾーンの方向に向かって漕ぎ出す。運河に沿ってまっすぐ道を行けば、お寺ゾーンにに辿り着くはずだ。
いざ自転車を漕ぎ始めると、汗ばんだ体には心地よい風が横を流れ、にわかにモチベーションが上がってくるのを感じた。気持ちに沿うようにスピードを上げようと力強くペダルを踏む。
ガタン!!ガタガタガタ…!!!
あ、これ、地面の粗い煉瓦の舗装と中古自転車の年季が相まって、スピード上げるとものすごく揺れるやつだ…。
くるりとむきを変え、ルンビニの出口へと自転車を向かわせた。にわかに上がったモチベーションは、横に感じる風より縦に感じる振動の強さが勝ったことで、またたく間に萎んでいった。ルンビニはいつかまた絶対来てやるという決意の表れと解釈してほしい。