寺に住むカレー妖怪のブログ

埼玉は芋芋しい町のとあるお寺に住みついているカレー妖怪のブログです。寺務したりカレー食べたりカレー作ったりカレーを愛でたりしています。 住職に隠れてこっそりやっているお寺のフェイスブック→https://www.facebook.com/unkousan/

ネパール・ルンビニ旅⑤

前回のあらすじ

・やっとこさルンビニにIN

・タイムリミットを自ら縮める痛恨のミス

https://currymandara.hatenablog.com/entry/2024/02/26/193912

 

現在14:00すぎ。聖園エリアの入場料を支払ったことで帰りのタクシー代が確実に不足、お金両替の為に15:00すぎにはルンビニを後にしないといけなくなった。まさか往復のフライト時間よりも短いとは。

 

聖園エリア入り、目当てのマヤ・デヴィ寺院に続く参道ではタイやミャンマーあたりだろうか、僧侶の姿を少なからず目にした。周囲の人々は敬意を抱く目で彼らを一瞥していく。

私はというと敬意というよりか好奇の目で見られていた。ニット帽にマスクで普段着、見慣れない日本人顔(他の日本人に1人も出会わなかった)となればまぁそうなる。あと驚いたことに単独行動しているのは私くらいで、他はグループだったために余計目立ったのかもしれない。

寺院が近づくと、靴を脱いで置いておくエリアがあった。下駄箱が多数置いてあるだけで管理する人がいるわけではないので、取り違えとか盗難とか全然ありえなくないのだろうけど、その時はその時で仕方あるまいに。靴下は履いたままの人もいたが全部脱いで裸足になった。ちくちくする足の裏は、大学時代の空手部で、正拳突きと前蹴り千本にいそしんだ真夏の砂浜のの感覚を思い出した。

 

残念ながら庭園を周遊している時間はないのでエリアの中心にあるマヤ・デヴィ寺院に足早に向かった。こちらはお釈迦様再誕の地であることを示すマークストーンが発掘されたポイントに建てられた。記念的意味も込められた寺院である。マヤとはお釈迦様のお母様のお名前。

(中は撮影禁止)

 

聖堂の中に入ると、中心にマヤ夫人がお釈迦様をご出産されてる様子をかたどった石像があり、ちょうどインド人かネパール人のご婦人グループが石像を取り囲んで静かに興奮していた。石像に触れていたように見えたので、こんな歴史的文化財に気軽に触れてええんかーいとも思ったが、後で知ったところには、女性がこの像に触れるとお子さんに恵まれると言われているらしい。文化財の保護も大切だけど、今も脈々と生きている信仰を尊重することも大切よね。

 

参拝客用のルートは石像に行き着いたところで途切れ、ご婦人グループは折り返して外に出て行った。参拝客用ルートの外側には警備員さん用のエリアがあり、石像を囲む参拝客を背後からチェックする形になっている。

礼儀と思いニット帽を外し、自分が石像を繁々と眺めていると、警備員さんから初めてか?どこから来たんだ?僧侶か?声をかけられた。初めて。日本から来た僧侶です。と答えると、石像の脇の地面を覆う透明パネルを指差した。パネル越しに地面を覗くと、お釈迦様がここでお生まれになったことを示すというマークストーンが。これがそうなのか…と感嘆していると警備員さんはちょっと誇らしげだった。

 

そしてさらに手招き。どうやら警備員エリアに入っていいよということらしい。え、ええんですか…とドギマギしながら簡易バリケードの向こう側へ。パイプ椅子に座る3人の警備員さんと、傍の床には座布団が2つほど置いてあった。少し離れたところから眺めると石像の全体像がかえってわかりやすくなり、先程見たマークストーンの光景とそれが示す意味と…映像と言外の感覚が混ざり合い、自分の胸をざわざわさせた。

 

お拝をして良いか、と警備員さんに確認をとり、その場で三度の礼拝をした。立ち上がり数秒石像を眺めたあと、再び警備員さんに確認をとった。数分だけ、meditation (瞑想)してもよいか?と。うちの宗派で言うならばつまり坐禅である。

OKだよ、と警備員さんが優しく言ってくれた。ありがたく床の座布団をお借りして、石像が正面に見える位置に坐った。

正直言うと自分は日常的に坐禅をしているわけではないのだが、この場で急に坐りたくなった。呼吸を整えながら石像を眺めていると(坐禅中は目を閉じない)、一言の言葉では表せない、かと言って言葉を並べては野暮というような、熱い感の極まりがぶわわわわああっっっとこみ上げてきた。その事実に自分でも驚いた。

自分はお寺に生まれたが、誰かが跡を継がないといけないからという義務感100%で僧侶になったわけではない。かといって信仰心100%でなったわけでもない。

そんな自分がこの熱い感を抱けたことに驚き、喜び、安心した。なんとも器の小さい感想であるかもしれないが、私の中では大きな出来事であった。

 

外からかすかに吹いてくる穏やかな風を感じながらもう少し坐っていたかったが、時間的な問題と、警備員さんへの配慮(と言うより自分が気にしてしまうだけ)から、数分の後に足を解き、警備員さんにお礼を言って聖堂をあとにした。

入れ替わるようににぎやかめな中華系グループが入ってきたのでちょうど良かったのかもしれない。偶然静かな時間をいただけたことの巡り合わせもありがたく、たった数分でも貴重な記憶となった。

 

もう少し続きます!