寺に住むカレー妖怪のブログ

埼玉は芋芋しい町のとあるお寺に住みついているカレー妖怪のブログです。寺務したりカレー食べたりカレー作ったりカレーを愛でたりしています。 住職に隠れてこっそりやっているお寺のフェイスブック→https://www.facebook.com/unkousan/

ネパール・ルンビニ旅③

前回:

currymandara.hatenablog.com

 

飛行機が約3時間半遅れでルンビニ最寄りのバイラワ空港にたどり着き、なんやかんやあって空港を出られたのが13:00手前。
帰りの飛行機から逆算するとルンビニ滞在は15:30までが目安。フライトの遅延やら空港でのやり取りやらでもうすでに若干疲れているが、気を取り直してルンビニに向かうのだ!こうしている間にもタイムリミットは迫っている。

 

空港を出てすぐにタクシーは捕まった。

懸念と言うほどでもないが、一つ頭にひっかかっていたのがタクシー料金である。旅の情報源としていたのがご存じ『地球の歩き方 ネパール』なのだが、最新版は2021-2022年度版。そこから数年の間に、皆様ご存じの通り世界でいろんなことが起きた影響で、ここネパールの物価も、書かれている数字より1.2-1.5倍くらい上がった印象を受けていた。弾丸旅ということもあってネパールに来てから移動手段にタクシーを使うことが多かったが、この物価上昇に伴う料金値上げが確実に私の財布にジャブを打ち続けており、ネパール後半ラウンド、じわじわと体はいたぶられていた。

地球の歩き方では、バイラワ空港からルンビニまでのタクシー料金は1500-2000ルピーとあった中、聞いてみると、上限いっぱいの2000ルピー。値下げ交渉もしようと思ったが、料金はどのタクシーでも2000ルピーでFIX(固定)なんだ!と言われ交渉の余地なし。本当にFIXだったかはわからんけれども、ここでごねてる時間もない。2000ルピーということでしぶしぶ乗り込んだ。

一息ついておもむろに財布の中身を確認したところで背筋がちょっとヒヤッとした。

ネパールのお金、5000ルピーとちょっとしかない。

往復タクシー料金が4000ルピー確定となり、残りの1000ちょっとルピーでお昼ご飯代をまかなう計算である。ご飯代は全然足りるのだけれど、こういう遠方に来た時に、不測の事態に備えて現金に余裕がないと落ち着かない人間なので、精神的にちょっとぐわっときた。日本円はあるし、クレジットカードもあるから、そこまでビビることもないのだけど、何せ時間がないから両替を探すタイムロスは避けたい…。なんで両替してこなかったのかというと、直前まで思い違いをしていてタクシー料金が1000ルピーくらいだと思っていたからです。(地球の歩き方を読んでいたはずなのに)

 

そんなことをぼやっと思っているとタクシーの運ちゃん(若そう)が話しかけてくれた。ルンビニ内の移動手段を聞かれて当初予定していた徒歩と答える。

「え?16時フライトで帰るのに徒歩?無理だよ~めっちゃ広いよルンビニ!タクシーで回りなよ!空港までの往復で5000ルピーでどう?」

答えはNo!である。何せ本当に(すぐ使える)現金がない。クレジットカードなんてネパールのタクシーでは使えない。お金があったとしても1000ルピーをさらに持っていかれるのはしんどい。今、日本円激弱で泣きたいんだから!

「いい!大丈夫!歩くから!金ないから!」

「いやいやいや無理だから(半笑い)」

「金がないんだってば!!!」

という問答ラリーを数往復し、運ちゃんは諦めたようだ。金無いなんて絶対嘘だろと沈黙が物語っていた。でもTPOに適したお金は本当に無いんだよ…あっても頼まないけど!

人生でまた来られるかわからないルンビニなんだからお金使ったっていいじゃない、両替を探す時間も車の速さを考えればお釣りがくるんだからタクシー頼んじゃえば?という声もあるだろうが、何だか私は意地になっていた。

情勢を考えると仕方ないにしろタクシー料金の割増に辟易していた。というのもあるが、タクシーの乗り心地が良くなかったというのも大きい。カトマンズのタクシーより大き目だからか?車体が大きく揺れることが多かった。加えて私はカトマンズの夜(5℃くらい)に合わせた服装だったのだが、ルンビニはネパールの南、もうすぐインド!という位置にあるからか、日中はカトマンズ(20℃くらい、割と乾燥している)よりも暑く、むしむしっとした気候。窓ガラスのない窓から砂埃が舞い込んでくる車内でガタゴト大きく揺られていると、疲労感も手伝ってどんどん酔い目の方向に傾いていくのを感じていたのだ。なるべくなら車に乗っていたくない。あと、フライト待ちからのフライトからのタクシーなのでそろそろ下半身を自ら動かしたい。しかし本当に徒歩だと本当の本当に時間がない。どうしたものか…。

そんな時、カレー界では有名なカレー哲学さんにルンビニの様子を尋ねたときに「貸自転車がありますよ」と言っていたことを思い出した。これだ!!!!!

 

頭の中で解決策が思い浮かんだところでルンビニ入口横のバザール(商店街っぽい一角)に着いた。

ルンビニに入る前にお昼ご飯を食べたいと聞いていたタクシー運ちゃんがわざわざレストランの前に停めてくれ、ルンビニに入るゲートはあそこだ、ほらそこがレストランだ!15:30に迎えに来ればいいんだな?と確認してくれる。

ありがとう、ではまた後で。とお礼を言い、私はタクシー運ちゃんが教えてくれた目の前のレストランを通り過ぎた。

冷静に考えると本当にすみません…。この時の自分は「タクシーとレストランが組んでお昼ご飯代をぼったくってくるんじゃないか」という猜疑心と「弾丸旅では一食一食が貴重!飯屋は自分で選びたい!」という我欲が頭にあったのだ…。

お釈迦様生誕の地を前になんなの自分。

 

タイムロスを覚悟でちょっと商店街を入っていったところのお店を選んだ。タクシー運ちゃんが選んだお店は道の脇すぐ、一番動線が集まりそうな場所にあったのだが、自然と人が来るような立地のお店は手を抜いているのではないか、と思って避けた。なんなの自分…。

 

自分へのツッコミはどんどん積み重なっていくのだが、「時間がないからすぐに調理できそうな料理を選ぼう」という考えは無く、ベジタブルモモとフィッシュカレーという、その時自分が食べたいものを第一優先に、よくわからない組み合わせを頼んでいた。だって中身が野菜オンリーのモモって食べたことなかったし、昨日食べた魚のいい感じな生臭みに現地感があってクセになっていたんだもの…。

 

ちなみにモモはネパールの餃子みたいなもの。(写真参照、ただしカメラが壊れていたのでピンボケ)

中身はネパール山椒などのスパイスが混ぜられた鶏肉や水牛の肉などが多いが、ベジタリアン向けの野菜オンリーのモモもあるのだ。蒸したてあつあつ、はふはふしながら一口。高菜のような発酵葉物野菜が、あっさりしつつもやみつきになりそうな味わいを出していた。付け合わせのゴルベラアチャール(スパイスとトマトのソース)がまた味変調味料として大活躍。油で焼くのではなく蒸してあるのでもうスルスル食べてしまった。

フィッシュカレーは淡水魚。ネパールには海がない。ちゃんと臭み抜きがしてあるからか、そしてマスタードシードなどパンチのきいたホールスパイスの層が絡められているからか、昨日食べたフィッシュカレーよりも生臭みは少なかった。あの生臭みが恋しいのだけれども、これはこれでとてもおいしい。エネルギッシュな酸味と辛味のあるカレーで疲労が軽減され精気が満ちてきた。

疲労と空腹が重なってあっという間に食べてしまった。まだお腹に余裕はあるのだけれども、空腹が埋められたところで、「早く貸し自転車屋を探さねば」という真っ当に急ぐ心が戻ってきた。

 

お会計してくれたお兄さんは、なんと大阪で働くべくビザ申請中らしい。日本でまたお会いできたらうれしいですね!

クレジットカード使えるよ!と言われてよっしゃ!と喜んだのもつかの間、私の持っているカード会社は対象外であった。泣く泣く現金で払い、財布の心もとなさが増しながらも、おいしい料理でみなぎる元気とやる気!さてとうとうルンビニだ!(やっと)

ネパール・ルンビニ旅②

前回のあらすじ

https://currymandara.hatenablog.com/entry/2024/02/14/195510

ネパールの首都・カトマンズから、お釈迦様生誕の地・ルンビニに日帰り旅を試みたカレー妖怪。往路7:55発、復路15:55発のフライトを予約し空港に着くも、悪天候のため✈️出発目処が立たぬまま、時刻は10:30を過ぎようとしていた…。

 

文庫本は読み終わってしまった。

コーヒーは飲み終わってしまった。

余談だがネパールは荷物で席取りをしてお手洗いに行っても全然盗まれない(とはいえ多分あまりやらない方がいいのだろうけど)

代わりにお手洗いから帰ってきたらおばちゃん集団の1人が私の荷物を尻に敷いて談笑しながら席に座っていたので、大盛り上がりするおばちゃんのお尻の下から引っこ抜くように荷物を救出して席を代えねばならなかったけれども。

 

待つこと待つことうとうとうとうと……次に情報が出ると知らされていた時刻11:00に近づいた頃、バイラワ行きの飛行機の搭乗手続きを開始しますというアナウンスが流れた!

やった!!とりあえず前に進めそう!!!涙

 

11:30ごろ、ようやっとルンビニに1番近い空港、バイラワ空港への飛行機が出発したのであった。約3時間半の遅延である。

山脈が囲む、雄大かつ険しいネパールの空景に感動しながら、半ば放心状態で、思った。

…………時間…ないな…………。

バイラワに到着して12:00過ぎ、そこからタクシーで移動してルンビニ到着は恐らく13:00前くらいになる。帰りの飛行機を考えて考えていたらルンビニ引き上げ時間が14:30…ルンビニの観光エリアが大体全長3キロ………。

この時点で、ルンビニ全体を網羅するのは諦めねばならなかった。エリアを取捨選択し、ヤマをはってまわるしかない。 

 

頭の中で計画の修正をする傍ら、お隣のネパールお兄ちゃんが話しかけてきてくれたので拙い英語で会話もしていた。バイラワには里帰りだという。歳上かと思ったら23歳だったお兄ちゃんは、ネパールナイズされた英語が聞き取れず何回か聞き返す私を、少し小馬鹿にしたような顔をしながら相手してくれていた。何か釈然としないが、どうもありがとうよ。

ちなみにこのお兄ちゃんがCAさんに、(耳がキーンとするから)耳栓無い?と尋ねたら、抜歯まもなくの歯茎に詰めるような脱脂綿を当たり前のように渡され、当たり前のように丁度良いサイズに違って耳に詰めていた。半分ちぎって私にくれたけど、終始片手の中で持て余してました。こういうときの耳栓ってそういうものなの…?JALとかだとちゃんとした耳栓が出てきたりするのだろうか。

 

計画の軌道修正は、帰りのフライトを一本遅らせるという決断に落ち着いた。

15:55発を16:55に遅らせる。これだ!

12:20頃バイラワに着き、外へ出されるも、早速空港の中に入り直し、航空会社のカウンターへ。

しかしここから予想以上に時間を食った。

帰りのeチケットを見せながら、これの次の便に予約し直したいのだけどできますか?的なことを言って、OKをもらった。ほっと一息つくも、新しいチケットを渡されるまで中々待たされる。まあイレギュラー客(しかも手続き面倒な外国人)だからしょうがない。が、やっと渡されたチケットを確認すると出発時刻が12時台。もう間も無く飛びますというような時間である。あ!(元々予約してあった時刻の)次のフライトって意味だったのを(現時点での)次のフライトって意味にとらえてしまったのか!

慌ててNo,No!!とあらためて説明し直し、16:55のチケットに変えてもらった。自分の言語能力不足で生まれた余計な変更手続きでまた時間がかかる。…いやでも私16:55って言ったよな…まあいいか…。

 

チケット発券!急いで外に出てタクシーを捕まえねば!と外に向かうもハタと気がついた。航空会社のカウンターがここにしか見当たらないからと、私は咄嗟に出発ロビーにに入ってしまったのだ。普通はここから飛行機に乗るわけで、外に戻る出口というものは無い。あるのは入ってきた入口のみで、しかもそこをもう一度通るには荷物検査を逆走しなければならない。

気まずい!と思いながらも急いでいたので結構強引に荷物検査を逆走しようとした。当然警備員ストップがかかり、警備のお姉さんが訝しげに尋ねる。「あなたチケット持ってる?」「持ってるけどまだ後の便だから外に出たくて…私は今到着したばかりで…」

状況に半ばテンパってしどろもどろだったことと、警備のお姉さんがめちゃくちゃ怪しいやつを見る目で臨んできたこともあり、こちらの言い分は何も伝わらず、お姉さんは小馬鹿にしたような苦笑いを浮かべながら、貴女チャイニーズ?あ、ジャパニーズね、はいはい、○○〜と面倒くさい客に違いない私を、日本語が少し話せるネパール人スタッフに引渡した。一連の流れが焦るやらもどかしいやらなのだが、私が英語が堪能だったなら回避できていたであろう。しかしこのネパール人スタッフ兄ちゃん、ちょっと話してわかったが、本当に"少しだけ"日本語ができるのである。普通に日本人同士の会話だったとしても、微妙に複雑で手短に説明するにはちょっと頭を回さねばならないようなこの状況を、少しだけできる日本語話者に話すとなると余計にややこしい。これならカタコトでも英語で文を重ねて理解してもらった方がマシなのでは…と思いI arrived this airport just now...but...と話しだすと、隣にいた最初の女性警備員が、日本語で話しなさい!!と私を咎めた。なんでそっちが口出すねん!!!

 

だから!!私は今ここにカトマンズから着いたんだけど!!帰りの飛行機の時間を変えたくて出発ロビーに入っちゃったんです!!!もうチケットは変えてもらったからここから出たいんです!!!!と、あんまり記憶はないけど日本語か英語であるいは混ぜて上記の旨をめちゃくちゃ主張した気がする。スタッフ兄ちゃんはわかってくれたらしく、OK、OKと言いながら私を出口(入口)に…ではなく、航空会社のカウンターに連れて行った。「なんかこの子がフライトの時間変えたいらしくて…」

だから!!!フライトはもう変えてもらったんだってば!!!!!泣

と、再びめちゃくちゃ主張した末やっと理解してもらい、兄ちゃんから経緯を聞いて苦笑いの警備員お姉様に苦笑いで返しながら、私は無事にバイラワ空港から外に出られたのであった。


このやり取りに20分以上消費し、時刻は13:00近くになっていた…。

続く。

ネパール・ルンビニ旅②

前回のあらすじ

https://currymandara.hatenablog.com/entry/2024/02/14/195510

ネパールの首都・カトマンズから、お釈迦様生誕の地・ルンビニに日帰り旅を試みたカレー妖怪。往路7:55発、復路15:55発のフライトを予約し空港に着くも、悪天候のため✈️出発目処が立たぬまま、時刻は10:30を過ぎようとしていた…。

 

文庫本は読み終わってしまった。

コーヒーは飲み終わってしまった。

余談だがネパールは荷物で席取りをしてお手洗いに行っても全然盗まれない(とはいえ多分あまりやらない方がいいのだろうけど)

代わりにお手洗いから帰ってきたらおばちゃん集団の1人が私の荷物を尻に敷いて談笑しながら席に座っていたので、大盛り上がりするおばちゃんのお尻の下から引っこ抜くように荷物を救出して席を代えねばならなかったけれども。

 

待つこと待つことうとうとうとうと……次に情報が出ると知らされていた時刻11:00に近づいた頃、バイラワ行きの飛行機の搭乗手続きを開始しますというアナウンスが流れた!

やった!!とりあえず前に進めそう!!!涙

 

11:30ごろ、ようやっとルンビニに1番近い空港、バイラワ空港への飛行機が出発したのであった。約3時間半の遅延である。

山脈が囲む、雄大かつ険しいネパールの空景に感動しながら、半ば放心状態で、思った。

…………時間…ないな…………。

バイラワに到着して12:00過ぎ、そこからタクシーで移動してルンビニ到着は恐らく13:00前くらいになる。帰りの飛行機を考えて考えていたらルンビニ引き上げ時間が14:30…ルンビニの観光エリアが大体全長3キロ………。

この時点で、ルンビニ全体を網羅するのは諦めねばならなかった。エリアを取捨選択し、ヤマをはってまわるしかない。 

 

頭の中で計画の修正をする傍ら、お隣のネパールお兄ちゃんが話しかけてきてくれたので拙い英語で会話もしていた。バイラワには里帰りだという。歳上かと思ったら23歳だったお兄ちゃんは、ネパールナイズされた英語が聞き取れず何回か聞き返す私を、少し小馬鹿にしたような顔をしながら相手してくれていた。何か釈然としないが、どうもありがとうよ。

ちなみにこのお兄ちゃんがCAさんに、(耳がキーンとするから)耳栓無い?と尋ねたら、抜歯まもなくの歯茎に詰めるような脱脂綿を当たり前のように渡され、当たり前のように丁度良いサイズに違って耳に詰めていた。半分ちぎって私にくれたけど、終始片手の中で持て余してました。こういうときの耳栓ってそういうものなの…?JALとかだとちゃんとした耳栓が出てきたりするのだろうか。

 

計画の軌道修正は、帰りのフライトを一本遅らせるという決断に落ち着いた。

15:55発を16:55に遅らせる。これだ!

12:20頃バイラワに着き、外へ出されるも、早速空港の中に入り直し、航空会社のカウンターへ。

しかしここから予想以上に時間を食った。

帰りのeチケットを見せながら、これの次の便に予約し直したいのだけどできますか?的なことを言って、OKをもらった。ほっと一息つくも、新しいチケットを渡されるまで中々待たされる。まあイレギュラー客(しかも手続き面倒な外国人)だからしょうがない。が、やっと渡されたチケットを確認すると出発時刻が12時台。もう間も無く飛びますというような時間である。あ!(元々予約してあった時刻の)次のフライトって意味だったのを(現時点での)次のフライトって意味にとらえてしまったのか!

慌ててNo,No!!とあらためて説明し直し、16:55のチケットに変えてもらった。自分の言語能力不足で生まれた余計な変更手続きでまた時間がかかる。…いやでも私16:55って言ったよな…まあいいか…。

 

チケット発券!急いで外に出てタクシーを捕まえねば!と外に向かうもハタと気がついた。航空会社のカウンターがここにしか見当たらないからと、私は咄嗟に出発ロビーにに入ってしまったのだ。普通はここから飛行機に乗るわけで、外に戻る出口というものは無い。あるのは入ってきた入口のみで、しかもそこをもう一度通るには荷物検査を逆走しなければならない。

気まずい!と思いながらも急いでいたので結構強引に荷物検査を逆走しようとした。当然警備員ストップがかかり、警備のお姉さんが訝しげに尋ねる。「あなたチケット持ってる?」「持ってるけどまだ後の便だから外に出たくて…私は今到着したばかりで…」

状況に半ばテンパってしどろもどろだったことと、警備のお姉さんがめちゃくちゃ怪しいやつを見る目で臨んできたこともあり、こちらの言い分は何も伝わらず、お姉さんは小馬鹿にしたような苦笑いを浮かべながら、貴女チャイニーズ?あ、ジャパニーズね、はいはい、○○〜と面倒くさい客に違いない私を、日本語が少し話せるネパール人スタッフに引渡した。一連の流れが焦るやらもどかしいやらなのだが、私が英語が堪能だったなら回避できていたであろう。しかしこのネパール人スタッフ兄ちゃん、ちょっと話してわかったが、本当に"少しだけ"日本語ができるのである。普通に日本人同士の会話だったとしても、微妙に複雑で手短に説明するにはちょっと頭を回さねばならないようなこの状況を、少しだけできる日本語話者に話すとなると余計にややこしい。これならカタコトでも英語で文を重ねて理解してもらった方がマシなのでは…と思いI arrived this airport just now...but...と話しだすと、隣にいた最初の女性警備員が、日本語で話しなさい!!と私を咎めた。なんでそっちが口出すねん!!!

 

だから!!私は今ここにカトマンズから着いたんだけど!!帰りの飛行機の時間を変えたくて出発ロビーに入っちゃったんです!!!もうチケットは変えてもらったからここから出たいんです!!!!と、あんまり記憶はないけど日本語か英語であるいは混ぜて上記の旨をめちゃくちゃ主張した気がする。スタッフ兄ちゃんはわかってくれたらしく、OK、OKと言いながら私を出口(入口)に…ではなく、航空会社のカウンターに連れて行った。「なんかこの子がフライトの時間変えたいらしくて…」

だから!!!フライトはもう変えてもらったんだってば!!!!!泣

と、再びめちゃくちゃ主張した末やっと理解してもらい、兄ちゃんから経緯を聞いて苦笑いの警備員お姉様に苦笑いで返しながら、私は無事にバイラワ空港から外に出られたのであった。


このやり取りに20分以上消費し、時刻は13:00近くになっていた…。

続く。

ネパール・ルンビニ旅②

前回のあらすじ

https://currymandara.hatenablog.com/entry/2024/02/14/195510

ネパールの首都・カトマンズから、お釈迦様生誕の地・ルンビニに日帰り旅を試みたカレー妖怪。往路7:55発、復路15:55発のフライトを予約し空港に着くも、悪天候のため✈️出発目処が立たぬまま、時刻は10:30を過ぎようとしていた…。

 

文庫本は読み終わってしまった。

コーヒーは飲み終わってしまった。

余談だがネパールは荷物で席取りをしてお手洗いに行っても全然盗まれない(とはいえ多分あまりやらない方がいいのだろうけど)

代わりにお手洗いから帰ってきたらおばちゃん集団の1人が私の荷物を尻に敷いて談笑しながら席に座っていたので、大盛り上がりするおばちゃんのお尻の下から引っこ抜くように荷物を救出して席を代えねばならなかったけれども。

 

待つこと待つことうとうとうとうと……次に情報が出ると知らされていた時刻11:00に近づいた頃、バイラワ行きの飛行機の搭乗手続きを開始しますというアナウンスが流れた!

やった!!とりあえず前に進めそう!!!涙

 

11:30ごろ、ようやっとルンビニに1番近い空港、バイラワ空港への飛行機が出発したのであった。約3時間半の遅延である。

山脈が囲む、雄大かつ険しいネパールの空景に感動しながら、半ば放心状態で、思った。

…………時間…ないな…………。

バイラワに到着して12:00過ぎ、そこからタクシーで移動してルンビニ到着は恐らく13:00前くらいになる。帰りの飛行機を考えて考えていたらルンビニ引き上げ時間が14:30…ルンビニの観光エリアが大体全長3キロ………。

この時点で、ルンビニ全体を網羅するのは諦めねばならなかった。エリアを取捨選択し、ヤマをはってまわるしかない。 

 

頭の中で計画の修正をする傍ら、お隣のネパールお兄ちゃんが話しかけてきてくれたので拙い英語で会話もしていた。バイラワには里帰りだという。歳上かと思ったら23歳だったお兄ちゃんは、ネパールナイズされた英語が聞き取れず何回か聞き返す私を、少し小馬鹿にしたような顔をしながら相手してくれていた。何か釈然としないが、どうもありがとうよ。

ちなみにこのお兄ちゃんがCAさんに、(耳がキーンとするから)耳栓無い?と尋ねたら、抜歯まもなくの歯茎に詰めるような脱脂綿を当たり前のように渡され、当たり前のように丁度良いサイズに違って耳に詰めていた。半分ちぎって私にくれたけど、終始片手の中で持て余してました。こういうときの耳栓ってそういうものなの…?JALとかだとちゃんとした耳栓が出てきたりするのだろうか。

 

計画の軌道修正は、帰りのフライトを一本遅らせるという決断に落ち着いた。

15:55発を16:55に遅らせる。これだ!

12:20頃バイラワに着き、外へ出されるも、早速空港の中に入り直し、航空会社のカウンターへ。

しかしここから予想以上に時間を食った。

帰りのeチケットを見せながら、これの次の便に予約し直したいのだけどできますか?的なことを言って、OKをもらった。ほっと一息つくも、新しいチケットを渡されるまで中々待たされる。まあイレギュラー客(しかも手続き面倒な外国人)だからしょうがない。が、やっと渡されたチケットを確認すると出発時刻が12時台。もう間も無く飛びますというような時間である。あ!(元々予約してあった時刻の)次のフライトって意味だったのを(現時点での)次のフライトって意味にとらえてしまったのか!

慌ててNo,No!!とあらためて説明し直し、16:55のチケットに変えてもらった。自分の言語能力不足で生まれた余計な変更手続きでまた時間がかかる。…いやでも私16:55って言ったよな…まあいいか…。

 

チケット発券!急いで外に出てタクシーを捕まえねば!と外に向かうもハタと気がついた。航空会社のカウンターがここにしか見当たらないからと、私は咄嗟に出発ロビーにに入ってしまったのだ。普通はここから飛行機に乗るわけで、外に戻る出口というものは無い。あるのは入ってきた入口のみで、しかもそこをもう一度通るには荷物検査を逆走しなければならない。

気まずい!と思いながらも急いでいたので結構強引に荷物検査を逆走しようとした。当然警備員ストップがかかり、警備のお姉さんが訝しげに尋ねる。「あなたチケット持ってる?」「持ってるけどまだ後の便だから外に出たくて…私は今到着したばかりで…」

状況に半ばテンパってしどろもどろだったことと、警備のお姉さんがめちゃくちゃ怪しいやつを見る目で臨んできたこともあり、こちらの言い分は何も伝わらず、お姉さんは小馬鹿にしたような苦笑いを浮かべながら、貴女チャイニーズ?あ、ジャパニーズね、はいはい、○○〜と面倒くさい客に違いない私を、日本語が少し話せるネパール人スタッフに引渡した。一連の流れが焦るやらもどかしいやらなのだが、私が英語が堪能だったなら回避できていたであろう。しかしこのネパール人スタッフ兄ちゃん、ちょっと話してわかったが、本当に"少しだけ"日本語ができるのである。普通に日本人同士の会話だったとしても、微妙に複雑で手短に説明するにはちょっと頭を回さねばならないようなこの状況を、少しだけできる日本語話者に話すとなると余計にややこしい。これならカタコトでも英語で文を重ねて理解してもらった方がマシなのでは…と思いI arrived this airport just now...but...と話しだすと、隣にいた最初の女性警備員が、日本語で話しなさい!!と私を咎めた。なんでそっちが口出すねん!!!

 

だから!!私は今ここにカトマンズから着いたんだけど!!帰りの飛行機の時間を変えたくて出発ロビーに入っちゃったんです!!!もうチケットは変えてもらったからここから出たいんです!!!!と、あんまり記憶はないけど日本語か英語であるいは混ぜて上記の旨をめちゃくちゃ主張した気がする。スタッフ兄ちゃんはわかってくれたらしく、OK、OKと言いながら私を出口(入口)に…ではなく、航空会社のカウンターに連れて行った。「なんかこの子がフライトの時間変えたいらしくて…」

だから!!!フライトはもう変えてもらったんだってば!!!!!泣

と、再びめちゃくちゃ主張した末やっと理解してもらい、兄ちゃんから経緯を聞いて苦笑いの警備員お姉様に苦笑いで返しながら、私は無事にバイラワ空港から外に出られたのであった。


このやり取りに20分以上消費し、時刻は13:00近くになっていた…。

続く。

ネパール・ルンビニ旅①

「海外は 行けるうちに 行っておけ」という先人たちの格言に倣い、

先日、ちょっとネパールに行ってきました。3泊4日の弾丸旅です。

 

何かの研修?修行?と聞かれたりしましたが、

第一目的は、正直、本当にすみません、白状しますとカレーです。

「現地の飯が食べたい!!」この一心で航空券ポチりました。

 

とはいえ、3泊4日をどう過ごすかハタと考えると、

・時間がないので行動の中心は空港から近い首都のカトマンズになる。

・折角なのでカトマンズから日帰りで行ける範囲の土地にも行ってみたい。

・ネパールと言えばお釈迦様が生まれた地、ルンビニがあるやないか!

カトマンズから国内線の飛行機とタクシーで1時間ちょっと!行ける!

という考えに至り、帰国する前日にルンビニ日帰り旅を計画したのでした。

だからこう…早い段階で僧侶としての発想にもなったわけだから…許して…。

あと、え?お釈迦様ってインドで生まれたんじゃないの?って人があまりにも多いのだけど、(現在の地理に当てはめれば)ネパールでお生まれになって、(現在の地理に当てはめれば)インドでご活躍された方です!そこんとこよろしくお願いします。

 

そしてネパール旅すべてをブログにしたためる胆力を持ち合わせていないのでせめて何回かに分けてルンビニだけでも最後まで綴りたいと思います。応援よろしくお願いします…。

 

さて、先ほども少し書いたが、カトマンズルンビニの最短ルートは、国内線の飛行機を使ってバイラワという所まで行き、そこからタクシーでルンビニに行くというルートである。

カトマンズ発のバスに乗るという方が安いしおそらくメジャーだが、9時間程かかるそうなので弾丸旅には不向きなのだ。

また、バイラワからのルートもバスがあるのだが、ネパールでのバス乗りに慣れていないので乗り間違えや遅延リスクを考えてタクシーにすることにした。

 

ここで最大の懸念が、「飛行機が時間通り飛ぶか」という点である。

ネパールは山に囲まれた国であり、エベレスト等の高山がわんさか。濃霧や気流の変化、強風など山の不安定な気候にさらされ、しょっちゅう国内線は遅延するのだ!

事前にネットで搭乗記などを読んでみても、ほとんどの方が遅延に出くわしていた。

自分にできることは、遅延を覚悟して、「その日に行って帰ってくる」という最低限のミッションが完了できるよう、そして遅延してもルンビニ滞在の時間がある程度は確保できるよう、朝一のフライトを選ぶことだ。そして帰りのフライトについては、遅延が押しまくって欠航になるリスクと、夜遅くに行動することの治安上のリスクを考え、最終フライトより2,3本前のフライトを選ぶことだ。

以上の考えの下、7:55カトマンズ発の往路、15:55バイラワ発の復路を選択した。

帰りの飛行機から逆算するとルンビニにいられるのは9時半~14時半くらいまでの約5時間。この当初の予定時間をどれだけ確保できるか…。

あとは神頼みするしかない。カトマンズは人の数よりも神の数が多いと言われている。ここでいう神とはヒンドゥー教の神だが、仏教の神に通じる方々も多くいらっしゃるので、まあ、つまり、手は合わせ放題だ。

 

ルンビニ出発の朝、まずはタクシーで空港へ。ネパール初日に出会ったタクシーの運ちゃん、事前に「ルンビニ行くなら空港に送ってやるよ!」と約束しており、ホテルの前で待っていてくれた。ちなみにネパールでは8割がヒンドゥー教徒仏教徒は1割程らしい。(が、厳密に分かれているわけではない気がした。)この運ちゃんは仏教徒

無事空港に着いたところで、おいくら?と聞いたら「1000ルピー」だと。

「何だと?初日の空港→カトマンズ市内は固定制で850ルピーだったっしょ?」

「この時間は1000ルピー」

「納得いかん!850ルピーじゃい!」

「わかったよ~(数年前に行ったインドよりネパール人は折れるの早い印象)

帰りの迎えはいる?」

「いや、飛行機が時間通り着くかかわからないからいいや。ありがとう!」

てな流れで国内線ターミナルへ。

 

事前情報では「国内線ターミナルは本当何もないから飲食物は事前に用意しておくべき」ということも聞いていたのだが、チケット発券して荷物検査をスルーした先にはkioskみたいなショップがあって、軽食とかコーヒー、チャイ、お菓子などがそれなりに充実していた。

眠気覚ましにコーヒーを買い、チケットに書いてある搭乗口の近くで待っていようと赴いた。時刻は7:15くらいだっただろうか。フライト時間の7:55まで丁度よいくらいの待ち時間かなと思いながら、搭乗口近くのモニターを確認すると、

「バイラワ行き:時間変更!何故って?バイラワ空港が悪天候で閉鎖してるからさ!次の情報は9:00に出るよ!」(適当な和訳)

ふおん!!!

覚悟はしていた!覚悟はしていたのに心が落ちているのがわかる!!

希望を捨てていなかった自分の甘さが憎い!!

 

9時に情報が出るということは少なくともフライトは9時を超えるわけで、早くも1時間以上の遅延が言い渡されたのであった。

ちなみにこの時モニターに表示されていたフライトは8便、そのうちON-TIME(時間通りに飛びます)はわずか3便であった。半分以下である。日本よ、これがネパールの航空事情だ…。しょうがない、ひたすら待つしかない。

他のフライト待ちの人々と同様に、近くのいすに荷物を降ろして座り、一息つく。ちなみに空港のいすはどれもどこかしら何かしらで汚れていたり、よくわからんカスが落ちてたりするので比較的マシないすを選ぶしかない。フライト待ちに備えて持ってきた文庫本を開いて時間をつぶす。

 

9時が近づいてきた。ここまでバイラワ行きに関する放送などは入っていない。おもむろに席を立ち、もう一度モニターを仰ぎ見ると、

「バイラワ行き:時間変更!何故って?バイラワ空港が悪天候で閉鎖してるからさ!次の情報は9:30に出るよ!」

ふおん!追い遅延している!そうだよな、情報が出るってだけでフライト時間が確定するとは言ってなかったもんな…。

9時半になった。

「バイラワ行き:時間変更!何故って?(略)次の情報は10:30に出るよ!」

いやあのね、私もね、日本にいる感覚と同じように公共交通機関が動くとはこれっぽっちも思っていなかったし、例えばその日はルンビニに泊りながらゆっくり観光する予定です、とかなら全然良い。だがしかし、今回はタイムリミットがあるのだ、仮にここからの最短フライト時間として10時半に飛んだとしてもルンビニに着くのは11時半くらい。滞在時間は既に3時間未満が決定しているということに……。

まあ…しょうがないからね…タイムスケジュール設定したの自分だからね…待つしかないね…。

 

10時半になった。

「バイラワ行き:時間変更!(略)次の情報は11:00に出るよ!」

……文庫本…読み終わっちゃうなあ……

果たして無事にルンビニにたどり着くのか。続く。

カレーから仏教を学んだお話(カレーパンと筏(いかだ)の例え /唯だ揀択を嫌う

自分は毎週楽しみにしているラジオがある。カレー界の有名人3名がお送りする、「カレー三兄弟のもぐもぐ自由研究」である。

https://open.spotify.com/show/4EmhDBwBvkWKxfEs7gIy0P

カレー、スパイスにまつわるテーマや疑問について、三兄弟さんが和気藹々とおしゃべりや実験をしながら深掘りしていくという内容で、カレー好きな自分からすると毎週勉強にもなるしうんうんとうなづく気持ちよさがある。(皆さんもぜひ)

こちらの第78回が「カレーパン、正直侮ってました」というタイトル。その名の通り、カレーパンは1カレーとしてカウントできるか微妙(つまりカレーを食べた感覚になるか微妙的な意味と思われる)と思っていたが、カレーパンをあらためて深掘りしたり食べ比べたりしていくうちに、カレーパンの奥深さにハマっていく、という内容だった。

 

聴きながら、かつての自分を思い出していた。何せ私も同じようなカレーパン認識の転回が起こるタイミングがあったからだ。

僧侶の資格を取るための僧堂安居中のことである。

 

それまで自分も、カレーパンは極端な言い方をするとカレーとして半人前というイメージであった。その理由を深く考えたことは無かったが、今思うとカレーがメインになりきれていないというイメージだったのかもしれない。カレーパンの面積比は当然ながらカレーフィリングを包むパンの方が高いのであり、しかも大抵油で揚げているから心理的にもパンの存在感が重く、カレーを食べるというより、やはりパンを食べている感覚なのだ。当たり前だが。しかもカレーフィリングが正直カレー味ならいいだろう的な作り込み具合であったり、パンに負けているのか味わいを薄く感じたりと、そんなものも少なからずあるのでなんだか消化不良感が拭えなかったのだ。

 

そういうわけでカレーパンに積極的ではなかったのだが、僧堂安居中はカレー環境がガラッと変化した。食べるものを自分で選択することはできない。食べられるカレーは月に一度あるかないかのジャパニーズ家庭的カレー(バーモント)のみである。禁欲的な環境は覚悟していたし、覚悟していなければやっていけない環境だったから、常日頃自覚することは無かったけれども(おそらく自己防衛として無意識に考えないようにしていた)、慢性的にカレー飢餓状態であった。

 

とある日。僧堂に出入りしている業者さんが修行僧にパンの差し入れをくださった。そこで私の手にはカレーパンか渡ってきたのである。

ソフト目な生地にまぶしたパン粉は細かく、フィリングは甘めでほどほどの具材の量。地域のパン屋さんの、とてもオーソドックスなカレーパン。

しかし一口食べて、私は今カレーを食べているという幸福感を確かに感じた。

僧堂という、自身の行動選択肢が極端に限られ新しい刺激に鋭敏となった状況となった今でははっきり感じる。小麦の覆いに包まれたカレーの息吹を。

そしてあらためてわかる。カレーパンの魅力。パンの中という小スペースだからこそカレーの味はぎゅぎゅっと濃密であり、そして誤解していた。パンはカレーにたどり着くまでに掻き分ける存在ではなく、かっちりと相性が合えば、おいしさをブーストさせるカレーの友なのだ。油分を吸ったパン生地がカレーにパンチ力を与えつつも、カレーの濃厚さを受け止めて柔らかさを補うという主食本来の役割も果たす。このバランスが難しくて、厚み・油分具合・食感といったパン側の事情と、カレー感・塩分・油分・甘味・具材のクオリティといったカレー側の事情がかっちり噛み合った時の"カレー料理"としての美味しさといったら。全てのパーツがかみ合ったカレーパンはパンに包まれた"カレー"なのだ。(これはパン好きの方からするともやもやする表現かもしれない。その点承知してあえてカレー好きからの視点として書かせていただいた。)

幸いなことに、カレー好きと知られてからは、お寺の職員さんや役寮さん(修行僧ではなくお寺に勤務しているお坊さん)がちょいちょいカレーパンを差し入れてくれた。お陰様で僧堂安居中は人生で最もカレーパンを食べられた時期であり、カレーパンを食べ比べて分析したり、調和のとれたカレーパンの魅力を十分に考えられた期間でもあった。

 

ところで、お釈迦様の"筏(いかだ)のたとえ”をご存知だろうか。マッジマ・ニカーヤというお経の中に登場するお話である。要約すると以下のような話である。

 ある旅人が同中に大河に出会ったとする。近くに船も橋もないので旅人は草や木を集めて筏(いかだ)を作り、河を渡った。そして彼は思った。「この筏は役に立つ。この筏のお陰で私は河を渡ることが出来た。これからもこの筏を担いで歩き、旅を続けることにしよう。」

 さて、この旅人の行動は適切だろうか。お釈迦さまが弟子に尋ねると、弟子たちは否と答えた。いくら大河を渡るのに役に立ったところで、道を歩くにおいては筏はむしろ妨げになる。置いていくのが適切な判断であると。お釈迦様も頷き、そして答えた。「修行者達よ、このたとえをよく理解せよ。このような法を理解したならば、あなたたちはたとえ私の説いた法であろうとも、捨てるべき時には捨て去るべきである。」

(参考:https://kosonji.com/buddhismepisode/bep17.html

これは、たとえその時正しいと思うものであっても、いつまでもそれに拘っていてはならない。という教えにつながっている。お釈迦さまは相手の状況や理解度によって、都度適切な教えを説いていた。状況や理解度が変わればまた言葉を変えて教えを説く。だから表面上の言葉にとらわれていると、せっかくの高次元の教えも無駄になってしまったり、誤った理解に変化したりしてしまうのだ。

これは、状況に応じて新たな教えを受け入れる(新たなといっても本質的にはすべてつながっているのだが)姿勢を持ちなさいよということでもある。選り好みせず受け入れるという姿勢、これは「唯だ揀択を嫌う(ただけんじゃくをきらう)」という禅語でも表される。(揀択とは選り好みするという意味)かつて得たものにもとらわれない姿勢によって、新たな境地へとたどり着けるのだ。

 

話をカレーパンに戻そう。

かつての自分は、お皿の上に盛られたカレー、そしてライスないしはナンやチャパティといった(カレーとはセパレートされた)ブレッド類が付属するという形式が理想的カレーの形式であった。その形式にとらわれていたからこそ、「カレーパン」はカレーではなかった。しかもカレーパンを吟味することなくそう結論付けていた。僧堂という環境の変化が起こった中で、理想的形式へのこだわりを捨て(半ば強制だが)カレーパンに目を向けたときに気づけたのだ。さながらいなり寿司の米と油揚げのように、パン部分とカレー部分の相性によってどこまでも調和のバリエーションや可能性を追求できるというカレーパンのポテンシャルに。

 

カレーパンに出会った時、素通りしたりがっかりする人生よりも、カレーパンのポテンシャルに気づけた方が人生は楽しく、広く、鮮やかだ。

先日、インドの宗教・シーク教の礼拝施設を見学させていただいた時にいただいた軽食はこちらだった。(右にある一番大きい茶色い四角)

 

なんと食パンにジャガイモカレーが挟まれ、豆製のインド版てんぷら粉をまぶして揚げてあるのである。カレーパンは日本で発明されたが、これもまた一つのカレーパン。この驚きや感動、おもしろさはカレーパンに興味の無かった自分のままでは得られなかった。僧堂で修行できたことはカレーライフにとっても大きな転換点であった。

 

いつもながら長文になってしまったが、教わったことや正しいと思うことは諸行無常の世の中で時にかたちを変えていく。(注:無くなるわけではない)せっかくの金言や教訓を大事にするためにも、(本質は変わらずとも)変化を見極める心の姿勢を保ちたいなあと文を書いていて改めて思った。

カレーパンから感じた仏教をあらためて文章化できたのは冒頭ご紹介したラジオのおかげです。カレー三兄弟さん、ありがとうございました。

カレーから仏教を学んだお話(”普通”のカレー編)

カレーが特段好きなわけではない人も、日常レシピの1つとしてカレーは作る。

だから聞きます。「それ(日常で作るカレー)ってどういう感じ?」と。

そうすると第一声目に返ってくるのは、大抵この言葉である。

 

「え~うちのは普通のカレーだよ」

 

多くの人が口にする”普通のカレー”。

ここで”普通”という言葉の意味を見てみると、「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。」とある。(デジタル大辞泉より)

 

私は人が作ったカレーの写真を見るのが好きだ。なので、”普通のカレー”を作るAさんのカレーの写真も見せてもらった。

Aさんの普通のカレー じゃがいもが左遷されている

先ほど見た通り、普通とは「特に変わっていないこと、あたりまえであること」を意味する。しかしこの写真を見たとき、私にとっては明らかに「あたりまえ」のものが無かった。そう、じゃがいもである。

Aに、何でじゃがいも入ってないん?と聞いてみた。

 

帰ってきた答えが、「じゃがいもの食感がカレーを邪魔しているように感じるのでうちでは入れないのが普通」とのこと。カレーをまとったじゃがいもの外側から、未だ何ものにも染まっていない純粋なじゃがいもパートに移行するグラデーションを味わうのが大好きな私は驚愕した。そして思った。全然普通じゃないじゃん!!!!

 

次に同じく”普通のカレー”を作るというBさんのカレー写真を見せてもらった。

Bさんのカレー。

先ほどのAさんのカレーと異なり、じゃがいもさんがいらっしゃる。人参と同じくらいの大きさに切られているなあ、私的にはちょっと小さいや。あ、しめじがはいってる!うちは姉がきのこ嫌いだから入れられないな…。あ、肉は角切りだ。Aさんのカレーはスライス肉だったな。そんなことを、思った。

AさんとBさんのカレーを見比べてみると、入っている具材、具材の切り方、ルーの粘度、おまけにご飯の配置。色々と、違うことが分かる。

 

さらに私が一泊してお世話になった従姉妹宅。好物を知られているので夕飯にカレーを作ってくださった。そして「普通のカレーだけどどうぞ~」と叔母。

叔母作のカレー。うまい。

おお、角切肉だ!そしてじゃがいもが大きい。そうそう、一口で食べられないこの大きさが、じゃがいものグラデーションを少しずつ楽しめて私的ベスト。玉ねぎ・にんじん・じゃがいも・肉という具材メンツは実家と一緒。いただきます…このほのかな酸味と甘みは!トマトが効いている!味がちょっと濃いめなのがお酒のみの叔母好みに仕上がっていると思われる!!!

 

さて、そんな感じで3名の”普通のカレー”を見てみましたが、普通という言葉に当てはめるにはちょっと違和感があった。自分にとって当たり前ではない要素がちりばめられていたからだ。

そんな私の実家のカレーがこちら(手前の方のカレー)。

ある日の実家のカレー(手前) (奥のはレトルトカレー

まずじゃがいもがある時点でAさんと違う。さらにじゃがいものサイズがBさんと違う。しめじは入ったためしがない。肉はもっぱら薄切り肉である。(トマトはたまたま登場した)

 

これまで私はA、B、Cさんのカレーをそれぞれ見たり味わったりして所感を述べたが、その所感は実家のカレーの姿形が私にとっての”普通”であり、その視点から述べたに過ぎない。私の視点だってただ私にとって”普通”なだけだ。

おそらく、皆さんにとっての”普通”をベースにすると、それぞれ違った着目点、感想が出てくるだろう。ちなみにこの記事を書いた前日、2児のお父様が、「うちで作るカレーはほぼインドカレー。だから息子が給食で初めて日本のカレーに出会って、「今日の給食でカレーっていうめちゃくちゃ美味しいのが出た!」と言われた泣」という旨のお話をおっしゃっていた。息子さんにとって家と給食、両者のカレーは”カレー”という言葉で結びつくのだろうか。

そのくらい、人の”普通”は十人十色で、あたりまえって、あたりまえではないのである。お家のカレーを取り巻く人の認識に触れると、そのことをとても強く感じる。

そしてたいていの場合、あたりまえがあたりまえでないことに気が付くのは、それを失った時なのだ。あたりまえだと思っていたお家のカレー。誰かのお家に及ばれしたとき、あるいは彼氏彼女が出来て、結婚して、相手が作ったカレーに「なんか違う」と感じる、相手に作ったカレーを「なんか違う」と言われる。そこから”あたりまえ”の脆弱性に気が付いた人もいるかもしれない。(ときにそのあと家庭内不和に発展するかもしれない。)

 

そしてカレーに限らず、見渡してみれば生活も人も。

あたりまえ、ということは、無意識的に自分のベースになっているということ。自分を形作っているものということ。自分にとってのあたりまえが何かを意識したとき、また世界が違って見えるのかもしれない。

 

しかしここから、「あたりまえと思われることもかけがえのない存在です、自分をとりまくすべてが奇跡みたいなものです。大切にしていきましょう。」と結論し、文を終えるのは、正直に言うと苦手だったりする。もちろん確かに、それはとても正論だ。

しかしわかっていても難しいのだ、すべてを大切にしていくというのは。私が未熟坊主だからかもしれないが、真に実感することなく、悟りを得ることなく、教科書的にすべてがすばらしい!大事にしないと!と意識することはとてもエネルギーと時間的心的余裕が必要だと思う。あたりまえのカレーのかけがえのなさに自分が気が付けたのは、僧堂修行中の食事事情があったからだ。(修行前週3くらいだったカレーが月1あるかないかになった等)

あたりまえを大事に思えるようになるには、そういう何か劇的な転換点や、それこそ悟りの境地が必要だ。無理に頑張って大事に思うこと自体がしんどくなってしまうのもつらい。

そこで自分がおすすめするのが、「ありがとう」という言葉。この意味を今までよりちょっと意識してみることである。

ありがとうは、漢字で書くと「有難う」である。「有り」「難い」つまり、有ることが難しい。ここにこれが有るのは、この人がこれをしてくれるのは、簡単なことではないんだ。という自覚が「ありがとう」の感謝の言葉につながるのである。

日常で何気なくつかう「ありがとう」にはあたりまえがかけがえのないものであることへの感謝が自然と無意識的にでも含まれている。だから、ちょっとこれまでよりそのことを意識して「ありがとう」と言うだけで、ちょっとこれまでよりあたりまえを大事にすることに繋がるのではないかと思う。

 

たとえば、”普通”のカレーに、それを作ってくれた人に、食べてくれた人に、「ありがとう」と言ってみませんか。