会社員から寺務員になり、2週間が経過しました。
27年間、お寺内で生活していましたが、生活と運営は勝手が違うとしみじみ感じる毎日です。
わからないことだらけですが、手探りながら、今の寺務員生活はこんな感じ。
(法要がない日の場合)
■ 朝、起床
会社員時代は通勤に1時間40分くらいかかっていた。
もう通勤時間0分! 階段を降りて廊下を渡れば職場!
が、起床時間は20分早まった。
…あれ?
■ 朝のおつとめ等
住職に倣い、本尊様、位牌堂、仏壇各所などを回ってお経などの唱えごとを。
一般的に「お経」と言われるものも、場面ごと(念回忌ではこれを、お祝い事のさいにはこれを唱える、など)や、唱える相手ごと(三宝荒神様にはこの真言、韋駄天様にはこの真言を唱える、など)で結構バラエティーがあって面白い、がすんなり覚えられるかどうかはまた別。
各所をまわりつつ、ゴミ出しをして山門と駐車場の入り口を開ける。
終わったら当山の歴史とか教義とか、わからないことだらけなので疑問に思ったことを調べたり住職に聞いたりするが、住職のサービス精神、良い様に言えば布施心をうっかり刺激すると、過去のお寺の資料とか、教義の本とかがわっと出てくる。
ありがたいが私の脳は狭小であり、出されたものをいまだ読み切れていない。
口頭でもわっと説明される。急いでメモを取る。
■ ご飯作り
ご飯作りも担当である。母も手伝ってくれる。
あとで昼食も作ることになるので、朝のうちにできるところまで準備している。
昼は同じく夜の下準備も兼ねる。
住職が食べ終わったころに私も食べ始める。
食事は味わって食べたいというのが本音だが、住職と今日や明日のスケジュールを話したり、朝にうっかり刺激した布施心が尾を引いていて勉強会の続きが始まったりすると、なかなか食事に集中はできなかったりする。
母が料理上手なので、いろいろ教わることは楽しい。一方で細かい指示が入り、わかってはいるものの楽しくない時もある。
4月に入ってからは、もちろん食卓にカレーが並ぶことが増えた。
■ 日中
いろいろある。
法事の受付をしたり、掃除をしたり、寺の備品を買いに行ったり、と多種多様だが、
今のメインは「書類のデジタル化」である。
いまだにパソコンのことをワープロと呼ぶ住職の下、アナログの時代が続いてきた当山だが、そろそろ限界を感じたため、また急ピッチでデジタル移行する必要も出てきたため、書類やデータをいそいそとパソコンに打ち込んでデジタル化作業を行っている。
しかしこれがなかなか進まずやきもきすることもしばしば。
主な原因は以下の3点である。
①一発変換できない用語が多用されている。
「謝誼」「換菜」「祥當忌」「晋山結制」…ひええ、一文字ずつ変換するしかないよう…。おまけに勉強のためにと意味を調べ始めたらさらに時間がかかる。
②字が見にくい。
住職、字が異様に縦長なんだよ…。罫線と被ってると見づらい見づらい。
③何が正解かがわからない。
一応3年間お勤めしたため、民間企業の帳票や書類の記し方はなんとなくわかるものの、「民間企業ルールを寺にどの程度まで当てはめるべきか」「寺の場合どのようなまとめ方をしておけば使い勝手が良いのか」が手探りなので、作って訂正、住職の希望が入って修正あるいは追加、が入る場合がある。
住職は住職で、寺事務事情はわかる反面、パソコンで何ができるかがわかっていない。そのため話し合いをしながら住職の希望をパソコン上で実現することになるが、
同じ日本語を話しているはずなのに、時に異文化コミュニケーションの感覚を覚える。
このデジタル移行作業をしている間も、すぐの応対が必要な他の用事が入ってしばしば中断する。
住職から別用事が入る場合もある。内容は様々。
今日は、ちょっといい?と言われ、「位牌堂の西日がきつくて皆さん(お位牌)がまぶしそうだから窓にブラインドをつけてみてはどうか」と相談を受けた。
「西日だし西方浄土っぽいからええんちゃう?」と答えたら、
「いや、うち曹洞宗だし…」と遠慮がちに返された。
西日問題は備え付けの木戸を閉めることで解決された。
■ 戸締りなど
17:00ごろを目安に山門を閉めたり、各所戸締り。
お寺は入り口やら窓やら施錠・消灯・防犯センサー設置・常夜灯点灯箇所が多いので結構時間がかかる。住職が心配性なので猶更である。
終わったら夕飯の準備、デジタル化および他作業の続きなどなど。
こんな感じで手探りな日々が続いております。
法要が入るとまたガラッと変わります、もう少し寺っぽさが増します。
デジタル移行作業については、上述の通り急ピッチで行う必要がある書類があり、
一応締め切りもあるため、日々ノルマを決めながらてんやわんやで進めております。
「NumLock」は魔羅なのでは?と思いながら。
環境の変化に未だなれませんが、早くリズムを作れるよう精進します✊