寺に住むカレー妖怪のブログ

埼玉は芋芋しい町のとあるお寺に住みついているカレー妖怪のブログです。寺務したりカレー食べたりカレー作ったりカレーを愛でたりしています。 住職に隠れてこっそりやっているお寺のフェイスブック→https://www.facebook.com/unkousan/

カレー妖怪、修行にいく前に一度振り返ってみる。

5月に出家得度(僧侶になる儀式)を行い、僧侶になったカレー妖怪、

とうとう10月から某僧堂様へ修行に行くこととなりました。

期間が最初から明確に定められているわけではありませんが、今のところ1年間くらい行ってくる予定です。

 

で、以前書いた記事で出家得度式前後のことを少し書いたのですが、読んだ知人から「面白さ優先で他の部分があまりにも省かれていた」とのツッコミをいただいてました。

たしかに需要ないかなと思って僧侶になった理由とかめっちゃはしょってました。

修行に出ればほとんど音信不通となるので、その前にこのツッコミにお詫びしておこうと思います。

自分自身の気持ちの整理も兼ねて。

長いので適当にお読みください。

 

とはいえ「なんで僧侶になったのか」と改めて聞かれると、「Aです!」バーン!と言えないのである。少年マンガ主人公には不向きとみた。

とりあえず書きながら思い出そうと思い、関係ありそうな要素を抜き出すことにした。


■幼少期は寺というよりも家

小見出しの通りである。両親は「放っておいても自然と寺心芽生えるだろう」と思っていた節があり、そのあたりの情操(宗教)教育をほとんどされた覚えがない。(クリスマスは適当だったが。)しかし寺に住んでいるといっても居住スペースと法務・寺務スペースは完全に分かれており、法事の時は邪魔になるので外に連れていかれていた記憶がある。良い機会なのでもしお寺の若夫婦がこれを読んでいたら知っておいていただきたいのだが、上記のような放任主義と環境で、しかも子ども側がわりと「そういうものか~」スタンスで大抵のことを受け入れてしまう性格だと、「寺」は「寺」のかたちをとった「家」にしかならなかったりする。お忙しくても子どもさんに構ってやるか、法務姿を見せてやってください。

そうでないと半ドンの日、学校から帰ってきて庭(境内)に白黒の花輪が飾られていても黒服の人たちが大勢いても特に気にすることなく、むしろ関心は「今日のお昼は何かなー」であるなんとも身もふたもない子どもになりかねません。私のように。

 

そんな寺心もなにもないまま育ち、大学ではあろうことかキリスト教系の内容で卒論を書いた自分だが(宗教に関心はあったということか)、おそらく大学院入学以降で、関係する種々の気持ちが生まれていった気がする。以下がそれである。

 

■大学院で気づく「あれ?やばくね?」

大学院では文化財の保護を研究する専攻にはいった。文化財といってもモノのみではなく、お祭りや生活文化、宗教行事というような、幅広い人の文化を守り伝え続けていくにはどうしたらよいか、ということを考えていく。

そんな専攻で、これまでの研究事例を学ぶうちによく出くわしたのは、「今まで当たり前に自分の周りにあったもの(お祭り、習俗、場所など)が自分にとって大切なものだったと、失ってから初めて気が付いた」というどうにもしんどい当事者の思いだった。過疎や継ぎ手不足等で文化を担うヒトやモノ、場所が失われていく事例をみてふと気が付いたのは、「あれ?これって自分にとってはお寺なのでは?」ということであった。

よく考えてみると(考えなくてもわかるのだが)、親戚や周りのお寺には副住職あるいはその候補がいるのに、うちにはいない。住職もそろそろいい歳である。

自身の寺心が無意識に目覚めていたというよりは、”檀家さんが困る”という意識からの危機感だったと思うが、このままだとあの場所が失われてしまうのでは?やばくね?と思い始めたのであった。


▪️見合い相手、早よ

大学院で、どちらかというと当事者の”外側”(研究者)として宗教や文化を守り伝えていく視点を持った自分は、当初、自寺に関しても完全に内側に入る意識が無く、最初に頭にあったのは僧侶の奥さんとしてお寺を支えていく、という選択肢であった。そのためには当然”うちを継いでくれるお坊さんの結婚相手”を探さなくてはならない。

かといってそれは私には難儀な話である。どこから見つけて来れば良いのかというと、母数が多いのは二男として生まれたお寺の息子さんであろう。しかしそれは街コンに行こうがマッチングアプリを使おうが食パンくわえて遅刻遅刻と言いながら角を曲がろうが滅多に出会えるものではない。頼みの綱はどうしたって住職(父)である。

しかし頼んでいるにも関わらず、しかもそもそも住職だって同じ危機感を、私が気がつく前よりもっと前から抱いていたであろうにも関わらず、中々相手を連れてこない。というか探そうとするエネルギーを割こうとしない。しかし自分の後がどうなるか心配だと小言を呟く口は達者である。あなたの弟子にも部下にも息子にもなる人間なんだから自分で吟味して連れてこなきゃどうしようもならないでしょうがよー。なんなのよ!とやきもきする日々が続く。


▪️2度目のあれ?やばくね?

そんなこんなの間、お寺の制度について調べてみた。後継が決まってないまま住職に万が一のことがあっても、当然ながらすぐに寺が潰れるということはない。じゃないと困る人多すぎだわよね。

自寺の宗派にも本社とか地方本部みたいなところがあって、そこが便宜をはかって新しいお坊さんを寄越してくれるようになっている。

じゃあそんなに心配することないじゃないかというと、そういうわけでもない。

新しいお坊さんの意向によっては残された前住職家族の我々はお寺から出て行かなくてはならない場合もあるし、お寺の雰囲気も変わるから檀家さんはびっくりするし、しかも現住職、こともあろうに記録ではなく記憶に残しておく派なのである。頭の中にあるものを目に見える形でアウトプットしていない部分が多すぎて、今ここですぐに意思疎通ができなくなったら色々やばい。新しい住職も檀家さんも困っちゃう。そういう意味でも気がついた、再びのあれ?やばくね? 


▪️カレー妖怪、会社辞めるってよ

そんなこんなで見合い相手がこないまま数年。

住職の体力とお寺の情報アウトプット状況が心配になってきたこの頃、

とりあえず一つの決意をした。

後継はさておき、とりあえずやばい状況を一つずつどうにかしていくしかない。そのためにまず自分にできることして考えたのは、住職から法務寺務のやり方や情報を聞いて記録に残しておくことだった。

3年勤めていた会社を辞め、寺の寺務員としてのカレー妖怪が始まったが、会社やめろなんて自分は頼んでないと言う住職の小言とバトルしながらのスタートであった。


▪️もう私がやればいいんじゃないか、というかやりたくなってきた。

寺務を覚えながら住職の法務を見て長い反抗期が少し解消されたり逆に新たなバトルが生み出されたりしながら、仏教により深く触れながら檀家さんとお話ししながら、死だけではなく本当は人生全体に関わっているお寺という場所の大切さを今までに増して実感するようになった。

と同時かもっとスローペースか、自身の宗教心にも変化があり、いつのまにか自分は仏教を外側から見ると同時に内側からも見るようになっていた。(劇的なことがあったわけではないので言語化しづらい。)

とにもかくにもジャパンクリスマスの華やかさに惹かれていた自分にも無事?寺心が芽生え、花まつりを(カレーで)お祝いするようになっていた。相変わらず後継あるいはお見合い候補がいないまま、もっとお寺のこういう部分を覚えたい、自分だったらこういうこともしてみたい、といったモチベーションは上がる一方で、寺務だけでなく法要を挙げたりする法務にも関心が生まれていた。


じゃあもういっそ自分が僧侶になろう!


▪️物語は終わらない

自分が僧侶となること、両親とも反対であった。親心とか心配とか世代の価値観とか色々あるのだろう。

こういうとなか大切なのは妥協点を見出すことである。度重なる話し合いとバトルとバトルとバトルと話し合いの末、お寺を継ぐか(住職になるか)どうかということはさておき、僧侶になることは許していただき今に至る。

今後どうなるか不透明なところはあるが、住職になるとか一丁前のことを言う前に、目の前にやることがまだまだ多い。そんなわけで僧侶として半人前なので、修行に行ってきます!

物語はまだまだ続く。カレー妖怪の僧侶道はまだ始まったばかりです。


(おもしろおかしくかいてくれと言われたが力不足でごめんなさい)