今日は法要の準備片付けなどをしたあと、ツイッターのフォロワーさんと「「カレーを食べたあとにはカレーが食べたくなる現象」に名前を付けられないか談義」をし、すごく有意義な時間を過ごせた気がする。
自分だけかと思っていたが、フォロワーさんも共感してくれた。個人的な嗜好・体質がちょっと客観性と再現性を帯びた「現象」に昇華されたことがうれしい。
今のところ「カレー欲が輪廻する」「渇カレー」を思いついたけれど、字面や入れ込みたいニュアンスを考えると最適解まであと一歩な気がする。
話は変わるが、テレビを観ているとときたま「正しい寺社仏閣の参拝マナー」みたいな特集があったりする。
参道の真ん中は通らない、神社は二礼ニ拍手一礼、お寺では音を鳴らさずに手を合わせう、などなど。最近だと墓石に水をかけるのはマナー違反というテレビ放映の後、ツイッターで議論が起こっていたと思う。
そろそろその手の内容は被ってきている感があるので、自分としては「年回忌の数え方」を取り上げてくれてもいいのではと思う。
仏教では、故人が亡くなられた後、その方の為の法事を行う目安の年があったりする。
1周忌、3回忌、7回忌…と、耳にしたことがあるかもしれない。あれである。
1、3、7、13、17、19…といった具合に続いていく。なんでこれらの数字がピックアップされるのかの理由はさておき、お家や親戚が仏教であるならば、でくわすことの多い概念だと思う。けれど、この数え方が意外に厄介だったりする。
一周忌は故人が亡くなられた次の年。ここまでは良い。
次に来るのは3回忌ということだが、ここから年回忌は「数え年」で数えていくことになる。つまり亡くなられた年を1と数えて、2、3と進めていくわけだから、3回忌は1周忌の翌年、亡くなられてから2年後ということになる。
うっかり3回忌は没年から3年後よね!とか思っていると、実は前年だった、ということがある。檀家さんと話していると、話の流れで数え間違いが判明し、該当年を通り過ぎを未然に防いだ・通り過ぎが判明したけど仕方がないので翌年に行った、といったことが、しょっちゅうはないけれど決して少なくはない。
(もちろん年回忌を行うかどうかは各人のお考えやご事情、地域の慣習等によるため、必ず行えと言っているわけではない。)
マナーも大事かもしれないが、法要は家族親戚血縁者等々、多くの方がかかわってくる。実は7回忌は去年でした、と親戚一同に知られてしまったら、肩身の狭い思いをする方もいるんじゃないか。
数え方を知る需要と認知度がどのくらいなのか、全国的な数値はわからないが、自分の狭く短い寺務員生活の中でも必要性を感じることは多々あるのだから、やっぱり飽和状態のマナー内容より必要なんじゃないかなあ、と思うこの頃です。